コラム

October 30, 2014

WOOLHORSE 再び  10212014

WOOLHORSE 再び  10212014

 

2年半ほど前にある講座に参加し、そこの編集委員になった。

その為にこのブログに投稿するキャパシティーが低下してほぼ休止状態になってしまった。

漸く意欲が再起動して再びこのブログを継続します。

最初は6月に歩いた熊野本宮から熊野那智大社へ行った小雲取り越えと大雲取り越えから始め、最近の記事まで出来るだけ早くアップします。

本来、21日に再始動する予定でデザイン変更をしたのですが何回トライしてもダメでした。 所が今日このブログを開くとヘッドの写真が入れ替わっていましたので本日から記事をアップして行きます。

よろしくお願いします。

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June 04, 2013

防鳥ネット 06042013

ビワの木に防鳥ネットを張ったのは一昨年が6月4,5日、昨年は5月30日そして今年は昨日友人の子息が来てくれてネットを張りました。

もう10年程前に購入したロッククライミングの道具が一年で一回活躍する日です。 窓やベランダから体をせり出し作業する為の必需品。

今年のビワの実は小粒。 でも最初の試食では少し酸っぱさがありますが甘く味があります。

場所によって熟し方が違いますがここ一週間以内に完熟する事でしょう。

 

 

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March 28, 2013

叔母の葬儀 03152013

叔母は2男6女の兄妹の中の一番下で最後となった。

縁有って信州から富山の神社に嫁ぎ一男一女を得て天命を得た。

葬儀は当然神式で息子が喪主。

神式の葬儀は初めての経験であるが私には何故か仏式よりも合うという感じを得た。 

少し笑みがこぼれそうになったのは、通夜と葬儀の時の柏手2柏の時に手を打つ前に寸止めして音が出ないようにすること。

添付祭壇や式第などの写真は葬儀の後の十日祭でこれは仏式の初七日に相当する。

私は仕事の関係で富山出張の度に叔母の家を訪ね家族と交流していたので非常に身近に感じる叔母であった。

今、従兄弟会を毎年各地持ち回りで実施している。(長野北部、鹿児島、大阪、長野南部で今年は兵庫を予定している)

私たちの子供の世代に少しでも家族、親戚の関係を知って貰ったら良いなと思う。

 

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June 02, 2012

防鳥ネット 05302012

昨年は我が家の枇杷の木に防鳥ネットを被せたのが6月4,5日。
今年は私の足の故障で動けぬ。 ギブスが取れるにはあと1週間位か?
しかし実は既に熟す手前。
如何しよう?
29日に友人に電話した。
すると翌日午後に来れると。
彼はシルバー人材センターで庭木の手入れをしており多忙を極めているが30日は丁度空いていたようです。
彼の軽トラックの荷台には揃えた道具が一杯!
奥さんと彼の子息も来てくれて、ものの2時間位でネットを張り終えてくれた。
感謝、感謝です。
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February 20, 2012

護衛艦“いせ” 02122012

土曜日の昼前に友人から突然の電話で自衛隊の護衛艦を見に行かないかと誘われた。 取りあえずカメラを持って家を飛び出す。

乗船出来たのは昨年3月に就役した海上自衛隊の護衛艦”いせ”

航空機用エレベーターに乗って飛行甲板へ。

太陽に輝く甲板に出ると心がわくわくする。

哨戒ヘリSH60J/Kを真近で見、その反対側に高性能20mm機関砲がある。 ウウアー  発射速度が1秒間に60-75発!

ファントム戦闘機にも載せていたそうだ。 この砲は自動追尾防御システムで自動射撃が出来るそうです。この発射速度では人間の判断や対応能力がおいつかない。

もらったカタログによると、戦前の海軍の軍艦”伊勢”の全長が219.6m、この”いせ”の全長197mと表示されている。

軍艦伊勢“は後に改装され航空戦艦となり22機の航空機が搭載出来たという。 小型の航空母艦である。

護衛艦“いせ”も多分小型機の発着が出来るから小型の航空母艦。

護衛艦“いせ”は今のアジア情勢に適応できる優れた船だと思う。

私は右翼では無い。 しかし自分の国は自分で守る事は世界の常識であり私の常識であるがしかし、日本ではそれが常識では無いように言われている。

この護衛艦に乗っていると、その意味が身に沁みる。自分の国を守る大切な艦艇に乗船して、風にたなびく日章旗(軍艦旗、海上自衛隊旗)を見ると血が湧く思い。

久しぶりに興奮した一日でした。

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February 13, 2012

仲間 02042012

定期的ではないが、ほぼ2-3年置きに会って会食する仲間の会を開いた。

メンバーは40年以上前に一緒にスイス系機械輸入商社で働いた仲間5人。

今回は京都の聖護院御殿荘に宿泊した。

会食が目的だから観光は重視しない。

でも、翌日、宿からタクシーで南禅寺へ。

そして疏水の水門閣を上り南に辿ると丁度疏水がトンネルを出た地点に着く。

トンネルから出た疏水の一部はここから発電所用の水路(管)に入る。

今来た道の方向には哲学の道横の水路にゆく。

これで、琵琶湖の疏水取り入れ口から伏見港で淀川に出るまでの全行程を辿る事が出来た。

インクラインのレールを下り疏水記念館を見て白川沿いに祇園に向かう。

その途中でなんと今まで全く気が付かなかった明智光秀の首塚を発見!

5日の昼過ぎに解散となった。

次回は決めて無いが多分一年後かな。

 

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July 26, 2011

関西電力 072511

私は関電(関西電力)には良い印象を持っていた。

何故なのか?

まずは黒四ダム。

色々あるが良くもこのような場所に巨大なダムを作ったものだなー。 関電はすごい会社だと思った。

剱岳に登った後に通った阿曽原温泉から欅平までの水平道、黒四の為に作った作業路も関電だ。

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カラオケバーで出会った関電の人たち。皆、良い印象である。

大飯発電所の見学でも、緊急停止の際の冷却水の注入方式の説明や、保守点検にどれだけ注力しているか説明された。 だから現状では原子力発電しか無いかなーと思っていた。

但し、原子炉の現場での作業は関電自体の社員が行う事、および使用済み燃料の処理を

きっちりと行う事が条件。

しかし今思うと全て原子力は安全だと言う大前提の元での説明であった。

 

その印象が壊れて来た。

今回の事故の報道で見えてきた東電のトップの狼狽え様、事故処理のまずさ、当事者能力の無さ等々を見た時もまさか関電はあんなでは無いだろうなと思っていた。

しかし突然関電が発表した15%の節電要請とその後の反応や株主総会等の流れ見ると、結局は関電も東電と変わらないなーと思った。

黒四ダムを作った時の決断力が有れば、そしてそのような決断をした勇気ある経営者が居れば、今、関電がやらなくてはいけない事は原子力発電から脱却する基本方針を打ち出すことである。 

5-10年後の将来から見れば、エネルギーの大転換は今年から始まった事は確かだと思う。 大阪府知事や市長に言われる前に、関電自身がその大転換に積極的に取り組む決断をしてほしかった。 

だが現実には、発電から送電までの独占を継続するために従来のやりかたを変えられない、そして関電貴族と言われるほどの優遇勤務環境を失われたくない、社員の総意なのだろうか。 詰り関電の社員も東電と同じように、高給取で公務員化してしまったのだ。

だから現状を変えたくない、のですね。

しかし原発の現状を知った私たちは、最早そんな会社環境を許さない状況で、世間は関電の思うようには動かない。

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May 10, 2011

生肉 051011

私は信州諏訪の生まれで、小さい頃の記憶であるが肉屋の看板は“牛櫻豚”と書いてあった。 信州の中でも諏訪と伊那は馬肉を食べていた。

私の家では年に数回スキヤキをしたがほとんどは馬肉でした。安いからです。

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日露戦争から帰った祖父は、そのスキヤキが馬肉であれば決して食べなかった。二○三高地での戦の時に馬のお陰で命が助かり、その時に生涯馬肉は食べないと誓ったそうです。

親は、刺身で食べられるのは馬肉だけで牛と豚は寄生虫が居るから食べるな、と言われて、私はそれをほぼ守って来た。

しかし過去に2回、生牛肉を食べた。

1.山形のお客さんから、これは一頭で極一部だけ(確か数キロ)、それも極一部の店だけで食べられる刺身を勧められ美味しくたべた。

2.20年ほどまえか、スイス人の案内でドイツを回って居るときに田舎のホテルの大きなレストランのメニューに表示されているタルタル(ターター、とも言う)ステーキ(生肉を潰してスパイスを混ぜボコット皿に乗せて食べる)をみて、スイス人にこのレストランのタルタルは大丈夫かなと聞くと、ここは大丈夫だよ。 で、食べたがその夜から3日間、強烈な下痢に襲われ、アウトバーンを走り2時間置きにトイレ休憩が必要となった。

だからそれ以降、牛の生肉、ユッケ等生肉には決して手を出さなかった。

また、ステーキの焼き具合はそれまでのミディアムレアーからミディアムウェルダンに変更した。 

今の問題は寄生虫では無く牛の腸内菌のようだが。

TVのニュースで熊本の馬刺工場の衛生管理を知ったがあのような厳しい管理で作るのであれば馬にも似たような菌が居るんかなー!

いずれにしても、牛の生肉は今後一切食べまい。

四つ足動物の肉を食べる事は日本人の体質に合っているのかな?

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January 05, 2011

三瓶荘 露天風呂 122610

26日に宿泊した三瓶荘の露天風呂は印象的でした。

ホームページから風呂の案内図を借りて添付します。

17時半ごろから露天岩風呂に入ると、そこには雪が降り注ぐ。

更に外側の羽釜に入ると吹雪の中の状態。

既に暮れて暗いそらから吹き注ぐ細かな雪達が電灯の光に当たって舞を繰り広げる。 時間を忘れてその光景に浸りました。

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7-8年前か、1月2日に西穂山荘前の雪上テント場を撤去して上高地に下った。 歯の根がガチガチと言う程寒い中で雪の上(雪は氷状態)にテントを設営して一泊した。

翌日は釜トンネルを抜けて、約1時間、車道を歩いて下り坂巻温泉に到着。

早速、露天風呂に飛び込んだ。 記憶では多分2-30畳位の大きな露天風呂であった。

着替え場から露天風呂へ吹雪の中を裸で歩き風呂に入る。 

やがて激しい吹雪となり、一面真っ白になり、今まで見えて居た谷の対岸が見えなくなってしまった。

首から上は激しい吹雪の中、首から下は温かい温泉に浸かっている、非常に楽しく貴重な経験をした。

規模は違うが、その時をこの露天風呂で思い出しました。 

3月の本番では決して味わえないこの体験は又、楽しい思い出となって残って行く。

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October 21, 2010

吉田寮 101610

故あって京大の吉田寮を見る機会があった。

Wikipediaによると、この寮は大正時代に旧制第三高等学校の学生寄宿舎の廃材を利用して建設され、現存する日本最古の学生寮だそうです。

この寮を見ると、なんとなく懐かしくなります。

それは、自分がまだ高校生の頃に“三校寮歌 逍遥の歌”をよく歌っており、歌詞に出てくる吉田山を含む表現の為だと思います。

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一昨年は、山の会で哲学の道から吉田山に登り、京大正門前を通って学生食堂で食事をしたが吉田寮が現存するとは思っていなかったので、探しもしなかったが今回見ることが出来た事は幸いでした。

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