コラム

June 16, 2008

カラス戦争

家のビワを狙うカラスを防ぐ為にPPテープで防御ネットを作っていた。

そろそろカラスが来るだろうと思いつつ、67日の土曜日、マイスターの屋外観察で箕面の森に来ていた。 その留守にカラスの集団が襲って来て、女房がビワの取り入れと枝払いをした。

日曜日の朝にその惨状を見た。

    ビワの木の下は一面、落下ビワの跡。

    6m道路を隔てた隣家の前にも、その上の電線にとまったカラスが落としたビワの果実跡。

    近所の車駐車所から駐車中の車の屋根にビワが落とされたとクレーム。

    一見で、それだけ。 目に見えない隣近所にどれだけ迷惑掛けたか。

この為、「今からカラスには一粒のビワもやらない」決心をして、まだ色の付いていない物、小さな物、全てのビワを除去した。 その数、多分2000個!

枝を一緒に切り落としたから来年の花芽も切った。 だから来年のビワは望めない。

一日掛かりで作業を終えた。

ビワの木は1/3程の大きさになりました。

枝を小片に切り刻み、葉を纏めて出来た大きなビニル袋20個。

翌日朝の一般ゴミ回収時に、一度にこれだけ出されては困るといわれたが、袋の中のビワもカラスが狙っているから頼む、とお願いしてなんとか回収してもらいました。

カラスに比べたらそれまで大食漢と見ていたヒヨドリも可愛く見える。

当然カラスにはカラスの理由があるのですが、多少の自然を勉強した者として、どの様に理解し対処すべきか解からない。

カラスに対する怒りを沈められないのです。

ドイツの友人、ベーンドに送ると約束したビワジャムが出来ない!

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May 09, 2008

ハーメルン(ハメルン)

(ドイツ人と話すとハーメルンよりハメルンと言う人が多い。)

4月19日はベーンドと奥さんのリサが一緒にハメルンを案内してもらった。

途中、ベーンドと私が仕事の話に夢中となり、時速180kmで走っているにも係わらずベーンドは両手をハンドルから離して話にのめり込んでリサと私の女房がヤメテと頼む。

“ハメルンの笛吹き男”は皆さんご存知のグリム兄弟の本で知っていますよね。

結構大きな町であるがその中心部は旧市街として復元、保存されている。

昔、お客さんを案内してここに来たが、今回はベーンドと一緒にほぼ半日かけて町を見る事ができた。

まず、昼食を食べようと入ったレストランはドイツ語直訳で“鼠捕男亭”という。 ここでベーンドがホワイトアスパラはどうか、と。

今丁度シーズンが始まった所である。  ベーンドもオランダの会社に居た時はアスパラガス畑のど真ん中の町にいたから敏感なのだ。

まだ少し細いが久しぶりの味を堪能した。 生ハムと茹でじゃがいもの一番オーソドックスな定食です。

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古い家、商家の佇まいを見るとこの町は裕福な町であった事がわかる。

旧市街地の中心の教会の壁にはカリオンが多数配列され時間になると扉が開いて人形が童話の劇をする。

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日本とドイツ:

*この童話はグリム童話として日本人は(特にシニアの)殆んどが知っている。

“鼠捕男亭”にはハメルンに関する日本語の案内が置いてある。 ドイツ語の案内パンフは当然あるが、英語は無い。 つまりここを観光ルートに含めるのは日本人が多いという事。 多分、一般的にはドイツ人より日本人のほうがこの話は良く知っている。

    ローレライの唄も昔、ベーンドの奥さんに日本語でローレライを歌ってあげたら目を丸くして、何故日本人がと。

ライン下りでローレライの岩に関心を持つのも日本人が一番でした。

その影響でドイツ人も改めて関心を持ち、またハイネの詩によるローレライの唄を船内放送で説明して唄を流す。

多くのシニア(私を含め)日本人たちはこの唄が流れると感情が高ぶる。 なぜなら小さい頃に歌い覚えた曲で懐かしいのです。 ドイツ人より日本人のほうがはるかに良く知っており歌えるのです。

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May 08, 2008

ラッシュハウス

Walahalla 4月18日は電車でデッユッセルドルフからオスナブルックへ約2時間の旅。

駅のホームでベーンドが出迎えてくれ、まずWalahallaホテルにチェックイン。

そして、ラッシュハウスに向かおうと車を出した所で停止して“版画家のアイトさんが見えたから”といってギャラリーの前に駐車して中に入った。

ヨハネス・アイト氏はシルクスクリーンを使う画家(範疇は版画家)で若い頃に東京芸大に在籍し、日本人の奥さんがいる。 現在はオスナブルック在住。

青色を巧みに使った明るい作品が多い。 1作品を頂いた。

オスナブルックの町は明日の買い物デーに備え道路にカーペットを敷く。

大胆にやりますね。

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ラッシュハウス(私が名付けた)はラッシュ家が当初、約100年程前にこのハウスを建この横に工場を持っていたそうだ。

その敷地規模と家の作りで戦前はドイツ軍の地方司令部として使われ、また、戦後は英国軍の司令部として使われた。

今は会社への訪問者等が宿泊出来るようになっている部屋が6-7部屋ある。

そして工場も見学させてもらった。

さらにすでに現役を引退しているダリオの父、ギド氏と叔父のゲーリット氏にも会えた。 この二人にはもう会うことは無いだろうと思っていので感激でした。

Rassch_hause Rasch_hause_2 Rasch_hause_3 Lunch Room_1

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May 07, 2008

デッユッセルドルフ

ここはご存知、在独日本人の一番多い所。

私も過去に仕事でお客さんの送迎や展示会等で何十回と滞在、通過した所です。

お客さんが居ない時には一人で良くアルトスタット(旧市街地)で酒を飲んだ。

その内の一番記憶に残っているのがライン川に近いこのビアホール。

当時は仕事帰りのサラリーマンが多かった記憶があるが今は観光客が多いようです。 また、座って飲むテーブルは壁際に少しだけで殆どは立ち飲み用のテーブル。

当時、誰かが食べているのを見て家で再現したのが“デッユセル卵”(私が名付けた)。 固ゆでの玉子を二つに割り、黄身を一度取り出し、白身の中にマスタードを入れ、そこにビネガー(酢)と植物油を入れて黄身を戻し上から塩と胡椒を振って出来上がり。 一口で食べる。昔と同じ味でした。

女房も私が家で再現した物と殆ど同じである事を確認した。

ビールは自家製でホールの中からガラス越にモルトキルンが見え、アルトと呼ばれる出来立ての少し苦味があり暗茶色のコップに入った物をウェーターがお盆に積んで客の周りを歩く。 頼むとコースターに鉛筆で線を一本引く。 勘定は線の数で支払う。

やり方は昔と同じであるが雰囲気は観光的。 

昔はもっとハードな雰囲気でドイツ人同士が飲んでいる隙間に割り込んでテーブルに手を置く。 彼らも気にせずに少しスペースを空ける。 2-3杯飲むと話が出来る。 そんな場所でした。

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May 06, 2008

コブレンツ

コブレンツが船の終点。 落ちついた綺麗な町です。

船着場から鉄道駅まで直ぐと思ったが1.5kmもある。

まー、あわてずに河畔をゆっくり歩く。

途中、川に面した円形石塔のレストランが有り、“食事はしないが二階で川を見ながらコーヒーを飲みたい”と言うと、上は景色良いし、どうぞどうぞと。

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駅前通りを歩いていると電車の時刻14:12を思い出すが、無理してもしょうがない。 

駅について14:12!!

切符売り場で“14:12のICに乗りたい”と言うと、中年女性がPCを叩きながら“えー、無理”、“ちっと待って、この電車は遅れているから間に合うよ”

座席に座れ、ボン、ケルンを過ぎて、今日の宿泊地デッユセルドルフへ。

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ライン下り

ライン下り

4月17日、朝の9時15分発の船にのるべくKDラインの船着場へ行く。

寒い朝。

乗船して荷物を下の階に置きレストランへ。

日本人の団体客が3-4グループ。 まだ時期的に早いのだろうか。

船が動き出す。 太陽が出てきて青空になった。 気分が良い。

ワインを飲みながら両岸の景色を堪能する。 ローレライ。

音楽が流れる。  ローレライの岩の上を見ると日の丸が翻っている!

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途中から乗船したアメリカのファミリー一団が横にくる。

赤ちゃんが泣き出したアメリカ人のお母さんが“ソーリー、ソーリー”と回りに謝っていたので女房が赤ちゃんをあやす。 すると泣き止む。

そして話かけてきた。 “アメリカ人か”と聞くといえ、ドイツ人とのハーフだ。 父親が亡くなりこの地域に埋葬した。 本当はライン川に遺灰を撒きたかったが弁護士がドイツでは最近禁止されたからダメだと禁止させられた。 “私ならポケットに灰を入れて船で撒く” でも弁護士に言ってしまったから出来ない。

女房が赤ちゃんの写真をとろうとすると、この子はカメラが好きでカメラを向けられると笑う。 その通り。  この子は私達が日本に居る時に妊娠したから日本人のオーラに触れると喜ぶのだと言う。 あまり真剣に聞かなかったが、旦那はアメリカンエアーのパイロット。 母方の方はホテルチェインを持っている家族で航空会社も持っていた、等、聞かない事をしゃべる。

一緒にコブレンツで船を降りた。

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May 05, 2008

パリ、フランクフルトそしてリューデスハイム

4月16日、オペラ座横のバス停から空港行きのバスに乗る。

搭乗口へゆくと、なんと最終入場者。

バスで飛行機へ。

小さなやつ。

フランクフルトの空港から電車駅へはバスで移動する。

ほぼ予定時刻の電車でWiesbarden(ウィスバーデン)駅で乗り換え、リューデスハイム駅までスムースに到着。

Hot Photo

荷物を引っ張りながら今夜の宿、“つぐみ道り”のLindenwildを見つけてチェックイン。 さすがパリの宿と比べ部屋が格段に大きい。

一休みして土産店へ。

そして丘の上に上がるリフトの駅に行くもすでに営業終了。

ワイン畑のなかの道を歩いてあがる。

高度が上がるとラインの流れが一望の下に見える。

この夜はホテルレストランで夕食。

まだ観光のハイシーズンでは無いが、夕暮れになるとレストランが活気つき、ツグミ通りが観光客のそぞろ歩きで賑わう。

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May 01, 2008

シャンゼリゼで朝食

ホテルでは無くシャンゼリゼで朝食をしようと地下鉄で出かける。

朝の歩道は散水車がかなりの水圧で路面を洗いゴミを吹き飛ばす。

店に入って朝食セットを注文。

スズメも店に入ってくる。

女房が突然立ち上がって“ハロー”と挨拶。

なんと、最初の夜、アルザス料理を食べて居るとき、二人のフランス老婦人の後に座ったスエーデン人の夫妻である。

毎日ホテルの決まった場所で同じ物を食べるのに飽きてここにきたようで私達と同じです。

住所を交換した。

Breck_1  Break_rest          Break_2              Suzumemo             Swedish

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April 30, 2008

Gien ジアン

4月14日、式も終わり城に別れてパリに向かう。

昨日たまたまトイレ休憩した所がGienで私は全く知らなかったがフランスの有名な陶器の産地だそうです。で、皆さんどうしても立ち寄りしたいと言う。 城でWさんに相談したが契約車の為、彼女には何も出来ないようで運転手に直接交渉するしか無い。

昨日と同じ運転手。 Gienと言うと頭からノー。

再度粘ってxxeuroの現金を手渡し婿さんが持っていたフランス会話本で探しようやく解ったようでローヌ川の橋を渡って左折、川沿いに暫く行って右に曲がり工場正面で降ろしてくれた。30分程と時計で示す。 

左手には博物館があるが飛ばして棚に急ぐ。

私達(女房)が選んだのはCaraibes/カリブと言うシリーズの絵柄で今まで家に無かった系統の絵柄と色。

スーパーのレジのような支払所で勘定をすると品物をテーブルに移動させ備え付けの紙を使って自分で包装する。

箱が有るが小さい。 袋をくれと頼むとどこからか大きなGienと書かれた紙バッグを持ってきてくれた、が濡れている。 粘着テープで補強する。

パリのホテルでチェックインする時に紙袋は破れた。

つまりここは金を払ったら自分の責任で包装して持ち帰る所のようです。

私の感じ:

    色々の製品を持って見ると、非常に脆い感じのする陶器である。

    絵柄に特徴の有る物が多い。

    が、中には何処かで見たデザインもある。

    ここの従業員からは製品に対する愛着が感じられない。

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April 28, 2008

ブルーシャトーでの結婚式

この城の佇まいを見ると私の世代は“森と湖に囲まれて、、、”と口ずさむ。

屋根の色はブルー系だからブルーシャトウでいいのです。

湖の周りを歩くと小鳥の鳴き声が心地良いですね。

この城は500年前に建てられたルネッサンス風の建築で城の持ち主の話をジックリ聞くと面白い歴史がありそうです。

結婚式は門の横、建設当時から傾いている塔の下のチャペルです。

伯爵家の女性は皆、このチャペルで結婚する風習があるのだそうです。

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式には当人達と両家の両親、それとWさんの持ちかけで昨夜このシャトウに泊まったフランス人の2組の夫婦。

式はこの城のオーナーである現役の伯爵が取りおこなった。

殆ど宗教色の無い式でたんたんと進んだ。

終わりに参加してくれたフランス人の一人が私は歌手だからお祝いに歌を捧げたいと、オオソレミオを歌ってくれた。 ありがとう!

イタリア語の歌詞は多少フォロー出来るので小声で一緒に歌おうとしたが、彼はフランス語で歌ったのです。

花嫁の写真を載せます。

残念ながら顔をお見せできませんが、親バカですが城となかなか相性が良い。

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April 25, 2008

Verrerie城へ

 

式のパックの中にはパリ・Verrerie城間の送迎が含まれる。

体のガッチリした運転手がワゴン車で来た。

結構なスピードで南東、リヨン方面に向かいます。 運転手は約200km有ると言う。

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やがて高速からおりると、一人がトイレに行きたいと言うので運転手に伝えると解かったようだが中々場所が無い。 日曜日だからスタンドやレストランも閉まって居る。 せかせられて再度頼むと解かったのかどうか不確かな顔だったが、やがて小さな町に入りほぼ中央で止め、ここと指差す。

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私が先導で降りると丁度ロータリーの真ん中で地下に降りる階段があり、降りると確かにトイレ、汚れたトイレが有った。 昔どこかで見たような便座の無いトイレを使うように薦めた。

その町はGienと言う。 この事が翌日の帰りに連結します。

更に田舎道を30分程走りようやくそれらしい景色が広がりVerrerie              の表示が見えて来た。

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  Castle_2

小さな湖の向こう、雨の中に浮ぶ城が見えた。

Verrerie城だ。 城には日本人女性のWさんがおり、部屋と城の案内をしてくれる。

ここは現存するVerrerie伯爵個人の所有する城で領地である。

夕食は城の入り口近くの改造農家です。

この夕食が大変で。

最初がフォアグラとテリーヌ。

皆完食したが、それが間違っていた。

私は後から出てきた魚料理の皿、肉料理の皿、は殆ど手がつけられぬ。

最後のデザートを戴くしかなかった。 まったく中抜き!

翌日に式を控える状態ではこの料理は無理である。

                           

Desrt

Maindish Starter

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凱旋門

Trium_1_800 Photo 13日は午後に城へ移動するので午前中は凱旋門をゆっくり見学。

御存知のように凱旋門はロータリーの真ん中にある。 地上を横切っては辿りつきません。 で、地下に入ると地下鉄で反対側に出てしまった。 つまり地下鉄通路と凱旋門は繫がっていないのです。

漸くたどり着くとまだ開門には1時間ほど有るので、シャンゼリゼ通りに戻りコーヒーを飲む。

御存知ですか!  凱旋門にはエレベーター等有りません。 円階段を自分の足で登るのです。 (だから時間がかかりパックの観光客は登らない?)

景色はいいですね。 グルット廻るとパリが全部見える。

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April 23, 2008

シャンゼリゼの夕食

娘が結婚式をフランスですると聞いた時、そんな馬鹿な事をするなと私は反対した。

しかし、説き伏せるエネルギーや、その為に来る気まずさから消極的な気分でパリに来た。

その夜、土曜日で午後8時過ぎ、ヤバイと思いホテルのフロントのマドモアゼルに聞くと、難しいと思うが電話しくれて見ると彼女の顔が笑顔になった。 9時で取れたと。

凱旋門とエリゼ宮のほぼ中間にあるそのレストランはアルザス地方の名物料理が得意なようだ。 

隣の二人の老婦人に何がお薦めか聞く。 フランス語しか話さないがちゃんと教えてくれ、ワインまでアルザスのこのワインが良いと。

豚肉は見た目よりもあっさり目だから食べてしまった。

隣の老婦人の一人、60歳位か、が立ち上がりさよならを言った。

もう一人の70歳位の老婦人が、手まねで、あの人は車を取りにいった、と。

エー! ワイン飲んで居たのにと言うと少ないから大丈夫と言ってさよならをして出て行った。

これはフランス流ですね。

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April 22, 2008

不都合な携帯電話

4月12日、関空を出発時に携帯の電源を切った。

4月21日帰国時に電源を入れたが入らない。

海外では一切携帯は使わなかったから海外とは関係無い。

販売店に持って行くと電源が入らず、中のデータが取り出せない状態でサービスセンターにて修理が必要だとの事で、代わりの携帯電話を受け取った。 

問題はその代わりの携帯には自分の電話番号とメールアドレスが入っているだけで他は何も無い。

携帯電話は便利だがその便利さの御蔭で電話番号や携帯メールのアドレスを他に記録して無い。 つい3-4年前までは小型の電話帳をもっていたのに、何時の間にやら、そのような習慣を忘れてしまった。

だから相手の携帯電話番号やメールが無いのである。

こうなると携帯電話は不都合な代物となってしまった。

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April 11, 2008