エッセイ

June 25, 2008

ウイークエンド ギャラリー 夢宇(Muu)

23日は甲斐小泉付近を案内してもらいました。

この付近には小さい美術館やギャラリーが多数あるようです。

最初は“三分の一湧水”つまり昔からの水争いを避けるべく工夫した分配枡。

26代に渡り水元としてここを守ってきた家が有ったのです。

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ウイークエンドギャラリー夢宇は、はっきりとこの場所を調べて来ないと到達できそうも無い場所。

妹はすでに2回ほど来ているようだ。

内容は陶器、漆器、布、民芸品、そしてこの八ヶ岳一帯の陶芸作家達の作品もあるようです。

欲しくて手が出そうな物もあるのですが不用品が満杯の我が家は決断して整理しないとどの様に良い作品でも置く場所がありません。

だから私が見たMuuは、作品そのものよりも、自然と一体化された展示場所です。 今までにこのように感銘を受けた事が無かったのです。

先ずは入り口手前の“宮川”という小さな渓流とそれを覆うモミジ。 紅葉の時期の見事さが想像できます。

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多分3軒ほどの建物を一つに結んでいるのでその廊下の雰囲気が良いです。

この日は喫茶の営業が休みで、それが幸いして私一人でこの喫茶室に留まる時間ができました。

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いつかまた必ず来て見たい場所が増えました。

その雰囲気を写真で感じてもらえますか?

でも実際にMuuを見て下さい!

住所:山梨県北巨摩郡大泉村夢宇谷 電話:0551-38-0061

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姪の結婚

6月22日、小淵沢の某リゾートで行われる姪の結婚式に出席の為、21日に

バスで梅田から出発。

上諏訪駅に約40分遅れで到着。 携帯の都合の良い事は短いメールで進行状況を知らせ出迎えの弟の待ち時間を無駄にしなくて良い事です。

弟の家には長野の兄夫婦はすでに到着しており、お茶を頂き小淵沢のリソートへ。

ここのシステムはホテルや旅館とは全く違いとまどう。 部屋にある全体図を見ても何が何処にあるかどうにも理解し難い。 冊子を見ても何処そこで行われるイベント案内ばっかり。

それでも明朝の朝食場所は解かったからOKっと。

翌朝、窓から覗くと右手に甲斐駒の大きな山塊が見える。

結婚式はリゾートの庭にある小さなチャペル。

妹に聞いても式がどのように行われるか知らないと。

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やがて牧師が出てきて、ようやくキリスト教式に行われることがわかった。

問題はその牧師の顔と雰囲気が何かで見た喜劇役者的でクスグッタイのです。

今日、結婚する姪は恥ずかしがり屋で、小さい頃はいつも妹(母親)の後ろに回り、話もあまり出来なかった。 その姪が4歳としうえで活発な姉より先に結婚するので、よかったなーと感傷的に浸るのであろうと思っていたが牧師のお陰で助かった。 式が終わると貝型の後ろが巻き上がりグリーンの芝と池が広がる。

丁度雨も上がった!

良いカップルが誕生しました。

面倒な集合写真のあと、ショッピングストリートを通って披露宴会場へ。

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40人位(この位が丁度良いですね)の半数以上が若者で華やかな宴会。

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22日の夜は弟の計らいで同じリゾート内部のショッピングストリートの2階にあるロフト風な部屋に宿泊。

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June 14, 2008

まだ紫陽花

今を盛りと美を競っています。

雨の後はより鮮やかに見えます。

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June 09, 2008

相国寺

この寺の事は妹に聞くまでしらなかった。

雨の為か観光客が少なく御蔭で法堂の天井に書かれている蟠龍を見、案内人が示した場所で手を打つとその音が反響してその場所にのみ跳ね返ってくる。 それを体験出来た。

この寺の開山塔には開山夢窓国師を安置しているという。

相国寺には昔、若冲の絵が有ったのですが今は一枚も残って居ないのだそうです。

方丈の回廊にあった象の絵がユーモラス。

裏方丈庭園は細長く落ち着いており、ここも時間が有ればゆっくり座って見たい場所。

京都には私が知らないお寺がまだ沢山あるようで、かえりのタクシー運転手が相国寺の南、すぐ近くに矢張り紫式部ゆかりの小さな寺があると言う。

ネットで調べると盧山寺という。  ここは紫式部の曽祖父が建て彼女は結婚してもこの家を使い晩年まで作家生活をしていたという。  

7月後半には庭に桔梗の花が咲く。

このような訳で62日は紫式部デーとなりました。

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June 06, 2008

源氏物語 相国寺承天閣美術館編

山口伊太郎氏の源氏物語錦織絵巻が相国寺承天閣美術館で展示されていた。

実は、午前中の石山寺から一度ホテルの戻り荷物を持って雨の京都駅へ。

荷物を預け、妹がどうしても京都の寺を見たいと言うので女房が園通寺へ行こうとタクシーに乗った。 しかし、園通寺は比叡山の借景が有っての庭であるのに今日は見えないから価値は半分以下。

で、結局妹が昨日行きたかった相国寺へ急遽変更。

相国寺の横に承天閣美術館があり、そこで故山口伊太郎氏の源氏物語絵巻が展示されていたのである。

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出来上がったばかりの四巻現物で非常に色鮮やかに出来上がっている。

私が特に注目したのは「鈴虫」の、公達が笛を吹くその欄干に黒の菱文の“うすぎぬ”が掛けてある。 その“うすぎぬ”が凄い織り方をしているのです。

風通織(ふうつうおり)と言うそうです。

良く観察しました。 

下に配置された黒の経糸を引き上げ、黒の横糸でウスギヌを浮かして織っているようです。

そしてそのウスギヌの下には織られた欄干が透けて見えます。

二重織というか袋織の方法でしょうね。 自分で一度試織してみたいと思いました。不鮮明な絵ですが私が言っている所を図示しました。

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作者の山口伊太郎さんは明治37年(1904年)生まれで、70歳の時に隆能源氏の絵巻を錦織で制作する事に挑戦し、昨年、完成目前に105歳で亡くなり、弟さんが引き継いで完成させた物です。

第一巻と二巻はルーブルの東洋美術専門のギメ美術館にすでに寄贈されたそうです。

基本的にギメは作者生存の作品は収蔵しないが例外的な取り扱い。 

西陣は昔、リヨンからジャガード織機を導入して更に発展したが、そのフランスから芸術文化勲章をもらっています。

さて、毎度の事であるが日本での評価はどうなるの? この錦織の為に山口氏がそれまでの全人生で体得した織技術、その周辺技術、を駆使し更に錦織絵巻製織中に新たに開発した技術、技法、更に源氏絵巻を超越した織柄の迫力、を、そしてその美術性を適切に評価出来る人がいるのだろうか? 

少なくともフランスには、居たのです。

6-7年前に仕事でリヨンに立ち寄った時に織物博物館を見学したが、リヨンでも織物は衰退しているが昔の織機や織物が丁寧に保管展示されていましたね。

一度、皆さんも是非、山口さんの精神がこもった源氏錦織の素晴らしさを御覧の程を!

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June 05, 2008

源氏物語 石山寺編

信州から披露宴に来た兄妹達への労いを兼ねて61日の夕方に大津のホテルに宿泊した。

2日は昼から雨の予想で、午前中は石山寺に絞って行った。

世の中の多くの男達と同様に私も源氏物語を読む程の興味が無い。 でも、その文化的、歴史的に非常に重要な物と理解しているつもりです。

石山寺も千年記の記念行事を行って居るが例えば夢回廊と称して普段入場出来ない場所で特別展示会場となっている。 が、目玉の展示品が目下貸し出され留守中とか、で、ここには入らない。

多宝塔から右手に上がった高台に月見亭があり確かにあそこから見る琵琶湖と月の組み合わせから話の構想が立ち上がりそうな場所に思える。

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豊浄殿の特別展では、紫式部自筆といわれる写経、そして彼女が使った硯を展示しており興味深く見た。

石山寺といわれるだけ有りちょっとした小山で皆さん疲れた様子。

それで普段は公開されて居ない公風園で和菓子と抹茶を啜る。

この古風な庭にはなんとなく抹茶が合いますね。

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June 03, 2008

披露宴

61日は娘の披露宴が大阪で開かれました。

天気が良く幸いでした。

会場の締め切っていたカーテンが一斉に開かれ、強烈な太陽の光線を背に新郎新婦が庭のテラスから登場して出席者はサプライズ!

花嫁の父はフランスでの坦々と進んだ結婚式同様にここでも感情の高ぶりが無く、涙も出ませんでした。

普段は結構涙脆いのにこんなものだろうか?

不思議な心境です。

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ホワイトアスパラガス

少し時間が遅れましたが424日にホワイトアスパラガスを食べました。

ハメルンの旧市街地の八百屋で売ってたホワイトアスパラガスを女房がどうしても欲しいと500グラム購入した。

昔、オランダで教えてもらったやりかたで茹で、生ハムと茹でジャガイモで食べた。

ハメルンで食べた物とほぼ同じ状態と味が再現できました。

ベーンドに写真を送って旨かったと言うと、“通常はアスパラを採ったその日に料理すべき物と言われているので4日過ぎた物が旨く食べれたとは新発見”と喜んでいた。

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March 27, 2008

オブジェ

吹田にメイホールと言う立派な設備がありそこで講演会があるので、演壇に乗せるオブジェの製作を依頼された。

経験があるから引き受けたが、公演の内容は今ひとつ解らないので、私のイメージを絵にして依頼者に送った。

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円形の蔓: グループのイメージ

3本の青竹:支える野菜のイメージ

それで良いと言う事で、友人に頼み服部緑地の公園の許可を戴き竹を一本切り家に持ち帰って加工した。

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竹の上面を一刀で切ったような鋭い切り口にするのに結構時間がかかり、また手持ちの蔓は1年以上経過しているから円形に組むのが難しい。

なんとか加工して、当日演壇に組み立てて帰った。他用があり講演は見ていない。

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作者として気になるのは、あれで良かったのか、どうか。

でも、誰も評価をしてくれない。

そんな物だろうが、ね。

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March 15, 2008

シーシェパード

3月1日に地球交響曲でクジラの歌を聴き、海洋生物学者・ロジャー・ペインの優しさがこもる話を聞き、私も漸く反捕鯨に理解をしなくては、と思うように感じた。

今、私がクジラの肉を食べる事は1年に1回かそれ以下である。

ところが、翌日のシーシェパードの問題が起こり、特に船長の“象の密漁者は見つかれば射殺されるのに、この程度は当然”のような野蛮な発言を聞き、前文の感じが即、無くなってしまった。

もう20年ほど前の事:

オランダの取引会社に行き仕事を終えて帰り掛けに何時も日本の私からのコレポンを取り扱ってくれているSに私のホテルでビールを飲まないかと誘うと喜んで来た。

色々話した後、

彼は:

私はグリーンピースに属している。 日本人はクジラを食べる事を辞め捕鯨をやめるべきである。 その理由はクジラが哺乳類で非常に賢いなど等。

それに日本人は今金持ちだから別の物を食べれば良い。

私は:

日本人の食生活、捕鯨の歴史、クジラの完全利用など等唱えたが、彼は皆クジラで無くとも他に代替できると主張。

売られた喧嘩に感じた私は最後に:

オランダ人は牛肉を食べるのを辞めろ、と言うと

彼はキョトンとしなぜ?

いいかい、お前の家の窓から毎日牛が見える。 牛もクジラと同じ哺乳類でそれなりの脳を持ち牛同士では会話もしている。 そんな身近に居りつぶらな瞳を持っている牛をお前達はただ食べる為に殺しているのだ。 それも大量虐殺している。

彼は少し面食らったが:

イヤ、牛はもともと家畜として人に食べられる為に生きている。

牛は私達のほんの身近で飼われている。 オランダでは本当に居間から見える。 大きな体で脳も大きいし牛の鳴き声は誰でも知っており、牛同士コミュニケーションを取っている。 そんな牛は世界中で毎日屠殺されている。

一方、私達はクジラが生きている姿を目撃する事は殆ど無い。 大きな脳を持ち鳴き声でコミュニケーションを取るこの海の哺乳類は大量に魚類を食べる。

私には牛もクジラも同じ哺乳類。 家畜ではあるが、なぜ牛は殺して良く、クジラはダメなのか理解出来ないですね。

想像話:

日本の調査では世界の海でクジラの個体数がかなり増えている。

一方、日本人のように魚を食べる民族は一昔前までほんの少しであったのが、ここ十年来、魚の多いスシ等日本食の健康性が理解され世界中で魚の需要が大きく増え、すでにマグロ等、日本人が購入に負けるケースが増えています。 

今後益々漁業が増大し、やがて世界中で魚の数が激減します。 そうすると個体数が増大し大きな一口で大量の魚を食べるクジラと人間との間で魚の奪い合いが起こる。 生きて行く為に、背に腹が変えられぬシーシェパードの連中もやがて捕鯨でクジラの個体数を減らし、ついでにクジラの肉も日本人に習って食べようとなる。

シーシェパードは、かってはグリーンピースの過激派で今はグリーンピースとは別組織のようです。

あの船長の顔や語りを聞くと、矢張り彼らは環境マフィアでしか無い。

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February 12, 2008

大阪も雪

2月9日は鶴見緑地で現講座生の進路説明会があり朝から出席。

途中から雪が降り出した!

帰る頃、13時頃、益々降る中を、重たいPCの入ったザックを背負い自転車に乗り、更に片手に傘を開いて漕ぎ出した。

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仲間と昼食を摂る為に京橋にゆく。

自宅と方向が違うので止める事も出来たが途中から意地が出てついに京橋にいった。

道路に積もった雪は厚さ約5-6cm、下部は融けて水。

へたに足をつくと靴の中に水が浸入する。

    この状態でハンドルを確り確保して真っ直ぐ漕ぐと自転車は滑らない!

    ブレーキをかけても滑らない!

    だから普段の70%位のスピードで行ける!

    注意は、曲がる時に急な角度で曲がらない事。

    停止時のブレーキはユックリと。

しかし神経が張るから結構疲れました。

私が自転車に乗ってる状態はだいたいスケッチのような状態でした。

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July 08, 2007

神の火

神の火

10年程前か、最初に高村薫の本を読んだのが「マークスの山」そしてこの「神の火」をよんでこの作家が今までの日本の小説家とは違い、資料を良く調べ話を緻密に組み立て海外の小説家のようである事がわかった。

今回、大飯原発の構内をバスで回った時に「神の火」に出てくるのは音無原発だが実際は大飯原発では無かったのかなーと感じたので帰宅して「神の火」を拾い読みしたが確認出来ず。

しかし、関電の社員が説明した放射能レベルについて高村は原子炉を攻撃する主人公に下記のように説明させている。

「ところでなあ、浩二。原子炉の蓋やが、開けても中は見られへん、いうのはなんでや」

「原子炉は止まっても、蓋を開けることは前提にしていないから、開けても安全な程度までは、ほう酸水の濃度を上げていない。要するに俺たちは、空けてはならない状態で、強引に開けるということだ」

「放射能が漏れるんか」

「ああ、だからロボットがやるんだ」

「人間が近づいたら死ぬ?」

「いいか、草介。人が死ぬような放射線といえば、三千から四千ミリシーベルト以上だ。そんなものすごい量の放射能を一度に浴びれるのは、チェルノブイリのように炉心が融けて剥き出しになる事故か、核爆弾しか考えられない。だからこんなふうに考えてほしい。

人が健康に生きていくための許容被爆線量は、年間五ミリシーベルト。胃のレントゲン検査一回で約4ミリシーベルト。 原発から出る放射線量は、年間〇.〇五ミリシーベルト以下。 それよりは確実に多い。 人によっては身体に影響が出るかも知れない。 危険だというのは、そういう意味だ」

「そうなるとあのチェルノブイリというのは、ものすごい事故やったんやな、、」

「そういうことだ」

一度誰かがこの小説のように原発、或いは火力発電所、等の重要施設を攻撃しようと計画すれば殆ど実現可能ではないかと思われる。

つまり、防御する側の思考が固定的に対し、攻撃する側はあらゆる可能性の中から手段を選べる選択肢があるからである。

北朝鮮、ロシア、CIAと日本の防諜機関、更に政治情勢が複雑にからまるこの小説は意外と今の日本の情勢と合っているので、一度皆さんも時間が有ったら読んでみて下さい。

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March 15, 2007

ある別れ

約20年、一緒に働いて来た彼が亡くなった。 丁度、鳥取へ行くバスの中で聞いた。

25日、大阪へ帰着後、家で着替えて通夜に参加。

20数年程前に私の仕事で採用した人が1ヶ月で辞めてしまい、丁度来ていた専門新聞のエディターに彼を紹介してもらい即、面接採用となった。

人当たりが良く、面倒見も良く、英語も問題無い。

顧客付き合いも良い。

しかし暫くするとビジネスマンとして成長するために必要なある要素が非常に弱い事が解った。

ある時、担当のオランダ人がそれに気付き私に相談に来た。

彼の良い面はお互い充分評価しているから気をつけて弱点をカバーし教育して強化するよにしようと、そのオランダ人と合意した。

残念ながら弱点は変わらなかった。

しかし通夜、葬式で多くの顧客や仕事仲間に会い思い出話をした。

皆、彼の表の面を評価していた。  

だから結局彼は世間には良いヤツだったのだ。

私の役目も結果的に成功したのかなー。

多分、本人は幸いな人生を送れたのだな、と思い、弔った。 合掌。

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December 15, 2006

コンテンポラリ・アート展閉会

12月8日から13日まで開催されました。

いままでサークル的な活動ととらえられていたようですが今回はシニア自然大学のアート展であると言う認識が広まったようです。 来場者数は過去最高でした。

コストを下げるべく、入り口のオブジェも自分達で作りました。

カテゴリー:文化・芸術のAugust 18.2005,現代美術作家で紹介した植村佳菜子さんのアイデアを使う為に本人の了解を得、また一升瓶も借り受けました。

更に、運営費を賄うべく実行委員が自分で或いはサークル等にお願いして寄付金のお礼としての手作り飾り等を作成しました。

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September 04, 2006

45分

91日の歩きは夕方となった。

何時ものように速足で鉄橋の木道にかかる。

約20メーター前に女性が一人。  橋の真ん中で追い抜けると踏んだ。

川の流れや景色を見ながら、ふっと前を見ると女性との距離が橋に乗った時とおなじだ。

よし、橋を渡り切った所では追い抜こう。 と思ったが、あれ!距離が縮まない。

土手道にはいり、愈々本格的にスピードを上げたが縮まない。

途中で彼女は土手道から降りた。 んーん、残念。

帰りの橋に登る為、私も土手道をおりる。

すると、先ほどの女性が、約20メーター先を歩いている!

橋の上で再度追い上げたが縮まない。 その時漸く自分の立場がわかった。

あの前を走る女性は私が追い抜ける相手ではなく、私が頑張ってもせいぜい離されないと言う相手であるのだと。 橋の終りで別れた。

ほぼ同じスピードで出発点に戻ると45分!

つまり、思いがけなく時速6kmのスピードで歩いたのでした。

このスピードは私にとって、まだ少々キツイので、当分は48-49分のスピードを維持しよう。

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July 14, 2006

喫煙理由

「昔(15年程前)インドシナ半島の真ん中、タイ、ビルマ、カンボジアの国境付近にゴールデントライアングルと言う地域がありました。

ここにはクンサーと言う将軍がおり私兵を要しミャンマーの軍隊が来ても対応して追い返しておりました。

(*クンサーの記事: http://www.mekong.ne.jp/directory/history/khunsatoukou.htm

問題は、当時この地域が世界有数のケシの栽培地でクンサーはその販売利益で私兵を増強し養っていました。

ミャンマーもタイも軍隊を出してクンサーを攻撃したが、その度にクンサー軍に撃退され一向に減らないケシ栽培に対しアメリカはいらつき、遂にCIAがクンサーに接触しこのような秘密取引を提案した。

「クンサー将軍傘下の山岳民族がケシの栽培を停止、そのかわりタバコを栽培する。収穫したタバコ葉はCIAが責任を持って買い取る」

この話は合意に達した。

「だから私は、喫煙を継続して山岳民族達が再びケシの栽培に手を出さないよう