自然
June 04, 2008
March 18, 2008
March 15, 2008
シーシェパード
3月1日に地球交響曲でクジラの歌を聴き、海洋生物学者・ロジャー・ペインの優しさがこもる話を聞き、私も漸く反捕鯨に理解をしなくては、と思うように感じた。
今、私がクジラの肉を食べる事は1年に1回かそれ以下である。
ところが、翌日のシーシェパードの問題が起こり、特に船長の“象の密漁者は見つかれば射殺されるのに、この程度は当然”のような野蛮な発言を聞き、前文の感じが即、無くなってしまった。
もう20年ほど前の事:
オランダの取引会社に行き仕事を終えて帰り掛けに何時も日本の私からのコレポンを取り扱ってくれているSに私のホテルでビールを飲まないかと誘うと喜んで来た。
色々話した後、
彼は:
私はグリーンピースに属している。 日本人はクジラを食べる事を辞め捕鯨をやめるべきである。 その理由はクジラが哺乳類で非常に賢いなど等。
それに日本人は今金持ちだから別の物を食べれば良い。
私は:
日本人の食生活、捕鯨の歴史、クジラの完全利用など等唱えたが、彼は皆クジラで無くとも他に代替できると主張。
売られた喧嘩に感じた私は最後に:
オランダ人は牛肉を食べるのを辞めろ、と言うと
彼はキョトンとしなぜ?
いいかい、お前の家の窓から毎日牛が見える。 牛もクジラと同じ哺乳類でそれなりの脳を持ち牛同士では会話もしている。 そんな身近に居りつぶらな瞳を持っている牛をお前達はただ食べる為に殺しているのだ。 それも大量虐殺している。
彼は少し面食らったが:
イヤ、牛はもともと家畜として人に食べられる為に生きている。
牛は私達のほんの身近で飼われている。 オランダでは本当に居間から見える。 大きな体で脳も大きいし牛の鳴き声は誰でも知っており、牛同士コミュニケーションを取っている。 そんな牛は世界中で毎日屠殺されている。
一方、私達はクジラが生きている姿を目撃する事は殆ど無い。 大きな脳を持ち鳴き声でコミュニケーションを取るこの海の哺乳類は大量に魚類を食べる。
私には牛もクジラも同じ哺乳類。 家畜ではあるが、なぜ牛は殺して良く、クジラはダメなのか理解出来ないですね。
想像話:
日本の調査では世界の海でクジラの個体数がかなり増えている。
一方、日本人のように魚を食べる民族は一昔前までほんの少しであったのが、ここ十年来、魚の多いスシ等日本食の健康性が理解され世界中で魚の需要が大きく増え、すでにマグロ等、日本人が購入に負けるケースが増えています。
今後益々漁業が増大し、やがて世界中で魚の数が激減します。 そうすると個体数が増大し大きな一口で大量の魚を食べるクジラと人間との間で魚の奪い合いが起こる。 生きて行く為に、背に腹が変えられぬシーシェパードの連中もやがて捕鯨でクジラの個体数を減らし、ついでにクジラの肉も日本人に習って食べようとなる。
シーシェパードは、かってはグリーンピースの過激派で今はグリーンピースとは別組織のようです。
あの船長の顔や語りを聞くと、矢張り彼らは環境マフィアでしか無い。
March 05, 2008
地球交響曲第六番
地球交響曲第六番
マイスター最後の講座は公開講座として龍村仁さんが製作されたこの映画・音楽を鑑賞しました。 冒頭、龍村ゆかりさんが紹介したクジラの歌で私は(殆どの人も)その声に引き込まれ映画に入りました。
この映画で最初に登場した奈良氏が来場され映画の終了と共に弓を振り空気を動かし空気を切る音を聞かせてくれた。
不思議な雰囲気でした。
マイスターの終了式の後、懇親会が行われそこでも奈良氏によって笙(インド産の笙と言っていた)で柔らかな音を響かせた演奏をして頂いた。
自然や環境をマイスターで学習して来た私達はアース(地球)と言う物理的な認識から地球生命体と言う考えで地球を一つの生命体と唱えたジェームス・ラヴロック博士が1979年頃に唱えたガイアと言う表現に導かれこの地球交響曲第六番のテーマである“全ての存在は時空を超えて響き合っている”で締めくくられた。
私自身、以前、一人で(一人の時のみ)奥山に入った時に感じた心を締め付けるような感じを受けた時に自然と一体になれた体験が何度も有り、この映画の登場人物達が話す内容を非常に身近に感じられた。
この地球交響曲第六番は左のMy list 一番上のマイスターコースをクリックして下さい。 皆さんの感想が一口メモの形で掲載されています。
March 04, 2008
February 12, 2008
大阪も雪
2月9日は鶴見緑地で現講座生の進路説明会があり朝から出席。
途中から雪が降り出した!
帰る頃、13時頃、益々降る中を、重たいPCの入ったザックを背負い自転車に乗り、更に片手に傘を開いて漕ぎ出した。
仲間と昼食を摂る為に京橋にゆく。
自宅と方向が違うので止める事も出来たが途中から意地が出てついに京橋にいった。
道路に積もった雪は厚さ約5-6cm、下部は融けて水。
へたに足をつくと靴の中に水が浸入する。
* この状態でハンドルを確り確保して真っ直ぐ漕ぐと自転車は滑らない!
* ブレーキをかけても滑らない!
* だから普段の70%位のスピードで行ける!
* 注意は、曲がる時に急な角度で曲がらない事。
* 停止時のブレーキはユックリと。
しかし神経が張るから結構疲れました。
私が自転車に乗ってる状態はだいたいスケッチのような状態でした。
February 10, 2008
岩橋善兵衛さん
2月2日に善兵衛ランドを訪問するまでは全くしらなかった膳兵衛さんが、いかに優れた人であるか僅かであるが感じる講座であった。
江戸時代、1793年に現貝塚市に生まれた膳兵衛さんはオランダから輸入された望遠鏡等を参考に自分でレンズを磨き精度の高い望遠鏡を作成し1793年には京都で天体観測会を催している。 また1801年、平天儀をつくる。
これは写真のように五層の円盤でつくられ世界地図、日、月、星の運行、四季の変化や潮位等の独創的な平天儀と呼ばれる早見盤をつくった。
彼の望遠鏡は日本最初ではないが、天体観測出来る精度のある望遠鏡で、さらに自分の観察した天体の動きを取り入れた平天儀を見ると、既に地球、月、と太陽系、銀河系や星座の動きの計算が出来ておりその凄さがつたわる。
伊能忠敬が全国の測量時に使う望遠鏡も提供している。
貝塚市は善兵衛ランドと言う名の天体観測と善平衛の望遠鏡や天平儀等を展示する場所を運営している。
当時の日本人が持っていた知識欲の高まりが高度な精度の望遠鏡を必要とした事がわかる。
February 05, 2008
January 19, 2008
January 06, 2008
里山―パート2 菊炭
11月24日は服部先生の案内で能勢に行き里山を観た。
ここに現存する本当の里山が残って居る理由は表、裏千家等の茶道のおかげなのです。
ここで菊炭を本職として作っているこの名人は、周りの山主と契約して炭の材料となるクヌギを取り入れる。
この地区のクヌギは台場クヌギと称し地面から1-1.5メーターまでは直径が大きいがその先から出る芽が成長して7-8年経つと炭に適する大きさとなる。 台場クヌギは
* 発芽場所が地面から1-1.5メーター有るから鹿やウサギ等に芽が食べられない。
* 台は継続する—100年、150年の物がある。
だから伐採された台場クヌギは7-8年過ぎると再度伐採できる。
このように実際の職業としての炭焼きが成り立っているから昔からの本当の里山が、ここの残っているのである。
菊炭はクヌギその物と焼く時の温度、時間、などの管理ノウハウで見事な菊模様がうまれ、
火持ちが良く、撥ねず、香りが良いので茶道では最高の炭として使われているのだそうです。
この菊炭作りが継承され、その原料を供給する里山が存続する事を願うのみである。
January 04, 2008
里山―パート1
11月14日に服部先生による講義があり24日には能勢で実際に里山をみる。
講義で先生は“里山を復活する或いはした”という話には疑問が有ると言われる。
日本に現存する本物の里山は猪名川上流域で一庫炭・池田炭の生産地として生き残っている。 本来、里山とは住民の生活、特に燃料の供給場としての機能が有ったが燃料革命(炭、薪からガス、電気に変わった)以来、里山は放置されおり復活は不可能だ。
私も里山とは住民の近くにあり優しい場所をイメージしていたが、実際はもっと厳しい場所である。
写真は24日に言った能勢のケーブル駅近くから見た写真で解るようにかなりの傾斜地で手入れにはかなりの苦労が居る。
従来の意味での里山の復活は最早不可能であるが服部先生は“心林方式”を提唱して、市単位から県への広がりを見せ始めている。
December 10, 2007
December 06, 2007
November 22, 2007
芦生の秋 パート3 “なめこ”
11月10日の宿泊地は道の駅の横で到着後に店を見ると店頭に“なめたけ”と書いた袋が2つ残っていたので1つを購入。 傘の直径が2-3cmと大きい。
熱に弱いからホテルの冷蔵庫で翌朝まで預かってもらう。 店員に話しを聞くと原木に菌を打って林の中で栽培しているという。(原木栽培と言うのかな)
11日、芦生へ行く前に美山のかやぶきの里でトイレ休憩。
人数から見ると少し時間があるので店頭を見に行くと、“なめこ”を売っている。 これも2-3cm。(“なめたけ”も“なめこ”も同じようです)
早速購入。 今度は昨日の“なめたけ”と同じ袋に入れ、冷たいペットボトルを買って冷やす為に袋に入れて少しでも断熱する為にセーターで周りを包んだ。
帰宅が遅くなり女房に頼んで2袋共に塩茹にする。
翌朝、この“なめこ”を大根おろしで食べるとその美味は維持されおり旨さを堪能した。
塩茹でして置くと冷蔵庫で1-2カ月位は美味を保つ。
もっとも我が家では3日で終わってしまった。
今の時期、“なめこ”は見たら直ぐ購入。これが私の鉄則です。
スーパー等で売っている工場生産の“なめこ”とは全く違った味と食感でこの時期しか無いようです。
November 21, 2007
芦生の秋 パート2
山奥の朝は静かに明けて行く。
簡単な朝食だが珍しい干し魚が(名前を聞いたのに忘れてしまった)旨かった。
今回も案内人登尾さんのガイドで森を歩く。
京大はこの芦生の森を地元から99年契約で借りているが期限はあと数年。
継続出来ればよいが、出来なければ京大が守って保存してきた森は商業活動に蹂躙される事は必至であろう。
しかし独立法人の京大も効率化を求めざるを得ず、これからどうなる事やら。
許可されたマイクロバスしか通行出来ない細道を行くと、何と映画の撮影が行われておりその為に20程の車が入っている。
誰かが「カムイ伝」の撮影だと言っていたが、この自然の中で撮影する必要があるのかな。
色はあまり冴えが無いが自然の秋の彩りを楽しめた。
落ち葉の色が面白い。
カシノナガキムシの侵入に依って枯死した大木がかなり見える。
この虫を防ぐ有効な手段はまだ無い。
赤い“マユミ”とコバルトブルーの“サワフタギ”の実対称的な色合いが良い。
由良川の源流を通リ杉尾峠に上ると展望が開け、もすこし天気が良ければ日本海も見えるのだが残念。
November 20, 2007
芦生の秋 パート1
11月10,11日と芦生への研修旅行をした。
10日は、京都府美山町の萱屋根の里を見学。
私にとっては3回目の訪問であるが、秋は始めて。
萱屋根と秋の彩りの組み合わせは心を和ませてくれます。
里の一番上に位置する普明寺の境内を借りて昼食の弁当を食べた後、散策。
38軒の茅葺屋根の家は現在も住居として使われ、或るいは民宿、喫茶店、資料館や各種展示等に使われており住民の生活の中にある。
歩いていても萱屋根が風景に溶け込み違和感が無いのです。
この日の宿泊は、美山から北西に峠を越えて福井県の名田庄で阿部晴明の子孫が室町時代からここに住み着き、朝廷や将軍家の占い、祈祷をし、暦を作っていたという。 今でもそれほど多くの住民が居るとは思えないほどの山奥に室町時代に人が住み着き、しかも朝廷の仕事をしていたとは驚くしか無い。
夕方に大阪出身でここを主な活動場としているNPOの方の指導でネイチャーゲームを実施し、始めはどうなるかと思っていたが、なるほど、自然をベースにしたこのゲームは子供や大人、シニア世代も引き付ける。
宿は道の駅と同じ境内にあり土産屋を覗くと、ナメタケを袋に入れて売っていたので購入してホテルの冷蔵庫で保存してもらう。
November 17, 2007
六甲農園
先週、友人の六甲農園へ芋ツル採りを主目的で行った。
ツルの状態はほぼ最適の時期で葉っぱを落としたツルだけでほぼ5KGのツルを戴いた。
勿論、収穫した薩摩芋も! そしてカブや葱も、です。
帰って早速ツルを料理した。
春のフキ、秋の芋ツルは我が家の定番になりそうだ。
作り方:
*収穫当日―2日以内だと灰汁だし等は不要。
*ツルを簡単に洗い、3-4cmにカット。
* 加熱した酒の中へバッサリとカットしたツルを入れる。
* あとは、砂糖、ミリン、醤油で煮る。
すみません。 調味料は好みで適量、煮る時間も適当、としか言えません。
つまり自分の好みで良いのです。
これも好みで山椒の実を入れて炊いてもいいですね。
November 04, 2007
October 24, 2007
京阪 京都から大阪
京阪 京都から大阪
先日の植物遷移で大文字山、大の字の、一の部分(地図で見ると海抜350m位)で目前に広がる京都の町を肴にオニギリの昼食を摂る。
景色を見ているうちに、左の方、つまり南方面に目を移した時、天王山の先に何かが見える。
よく目を凝らして観ると大阪ではないか!
多分、梅田やOBPのビル街が見える。
しかし、浮いた感じで見える。 蜃気楼か?
友人の双眼鏡を借りて観たが“蜃気楼”では無いようだ。
多分直線距離で45km、だから見えても不思議ではないが、実際に見えると京都大阪間の距離とはこんなにも近かったのかとビックリした。
京都の南、伏見あたりから出発すると歩いてその日の内に大阪の天満あたりまで来れる距離。
京都(大文字)から大阪が自分の目で実際に見えた事に感激した。




















































