大阪歴史ウォーク
昨日(4日)、熱い中、JR森之宮駅を午後1時過ぎに総勢16名で出発して先ずは難波宮へ。
大化の改新645年それまでの首都飛鳥からここ難波に遷都し多分本格的な建築で造られた大極殿の基壇を復元してあります。(ネットで借りた写真です。)
難波宮は奈良や京都の都より古いのです。
大阪城の大手門前を通り、天満の永田昆布店前の“八軒屋船着場跡”と御祓筋にある熊野街道の始点を見る。
その一つ西の座間神社行宮にある熊野本宮までの九十九王子、その第一王子といわれる“窪津王子”も見る。
昔、京の都人は、伏見港から30石船にのって八軒屋につき、窪津王子で旅の無事を祈願したのだろう。
そして今回のハイライト、適塾へ。
幕末の雰囲気をそのまま残す適塾は、そんなに大きくは無く、展示物も多いとは言えないが中に入っただけで雰囲気に包まれる空間。
このように質素な木造2階建ての塾からはやがて来る維新の人材を多数輩出しています。
教育とは勉強したいという情熱を持った人達が洪庵先生のような人に巡りあって火がつき明治の日本という国の基礎作りに携わる人材が出来る。
金や設備の問題では無く、勉強する情熱と良い先生がおれば良い教育が出来るのだろうなーと思う。 そういう事を感じさせる場所です。
となりの愛玉幼稚園は夏休みで門が閉じていたが、明治の木造建築を未だに使っている一番古い幼稚園のようです。
梅新南東角の地下にある大阪で最初のビアホールが当クラブの夏祭り会場です。 飲み参加だけの人も加わり総勢20人が貸し切りの部屋で盛り上がりました。 当然ながら大量の汗を出した後の生ビールは、、言葉不要。
このような状態で飲むと何処で飲んでも同じ状態になりますね。
ただ、昨年と雰囲気が変わっている。 昨年あったステージが無い!
世話役のTさんが5時15分で予約していたが中ノ島から電話で、到着が早くなると連絡してあるのに、入り口のフロントで“準備しているから少し待て”と、意味の無い待ち時間を作られた。
敷居が高くなり従業員が普通になり(前はもっと親密感があった)本来の良い所が見えなくなった。
Yukoさんが居た頃のあの雰囲気は最早夢の中なんです
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