オルセーの
シルエット続きです。
オルセーの展示を見て帰りがけの3階の通路に有った金属刳り貫きの作品が面白く歩きながら動画を撮った。
しかし、その作者名、作品目も覚えていません。
画面が揺れますので見難いのですがチョット画面から離れて御覧下さい。
シルエット続きです。
オルセーの展示を見て帰りがけの3階の通路に有った金属刳り貫きの作品が面白く歩きながら動画を撮った。
しかし、その作者名、作品目も覚えていません。
画面が揺れますので見難いのですがチョット画面から離れて御覧下さい。
どういう意味は解らないがバンドを聞く為に、4月28日夜のライブに行ってきました。
前日(27日)の夜、仕事帰りに日替わりマスター制のバーに行った。
この日は若いミュージシャン(ノスタル人と言う)と勾玉さんがマスターで彼等の友人達が集まっていたから、私は違和感を感じたが取り合えずカウンターに座りビールを注文。 支払いはキャッシュ オン デリバリー。
ギターの弾き語りがあると言うのでそれまでは居ようと考え、隣の青年と話だす。
何を言ってるのか解らない歌詞や騒音に聞こえる音楽が苦手である事を青年に話すと、ノスタル人の演奏を聞いて下さいという。
ギターの音律に乗った彼の歌は静かで私の耳に入ってくる。
心地良く聞こえる。 隣の青年にそれを話すと、明日ライブがあるので来て下さいと誘われ、いくよ、と答える。
多分、30人ほどが入れるライブ会場には小さなステージがある。
ヒトリトビオの演奏が始まった。
昨日の青年がギターを弾きながらボーカル、昨日のノスタル人がドラム、ベースが一台とトロンボーンの4人組。
4人揃った演奏はなかなか迫力があるが騒音には聞こえない。 むしろ心地良い。
ノスタル人には失礼だが嵐を呼ぶ男の裕ちゃんが演ずるドラマーの演奏を思い出した。
昨日静かに唄った彼とは大違い。
昨日の青年が歌うその歌は歌詞が解るから頭に入って来る。
自分の心の動きを唄い、子供から大人への成長過程を唄っているのだ。
そのナイーブな感情を表現する言葉の使い方、選び方に若い人とシニアの間に大きな違いが有るがそれを理解出来ればシニア達にももっと身近く聞けると思う。
トロンボーンの軽妙な音色もいいし歌とのからみが絶妙。
終わって、歌ってる歌詞が解った、演奏も良かった、と彼らに伝えると喜んでいた。
私は次の演奏は何時?と聞いた。
西陣織会館
3月18日はクラブ織のメンバーと西陣織会館へ行った。
一時期繊維に関係していた私だが、今回始めて訪れる。
西陣はすでに過去のブランド、あまり期待せずに入館しました。
1時からのチャレンジ講座を申し込み、みやげ物店を歩いていると、講師の先生がこれから講座をやります。 と、私達だけのグループを連れて
* 各種、大小の手機(てばた)と実演操作している女性に説明をさせる。
* 懐かしい7-8個の繭を茹でて絹糸を取り出し糸巻きに巻き上げる装置や座繰り。
* 経糸の仕掛け調整で矢絣の柄を出すラック。
* ビロード用織機、一越毎に針金を入れ後に針金で膨れた部分を切りビロードとする行程は全くの手作業で最早、この作業をする職人さんは居なくなった、との事。
*最後は幻の竹筬作りの職人さんと真剣な話が出来た。
この人は京都で竹筬を作る最後の職人さんである。
竹は3-4年の真竹で一年間ほど養生して割り、竹の皮の部分を削り出す。
カットした竹皮を締具で締めて曲がりを取る。
竹を焼いて歪みを抜き角を取る。
そして漸く筬の形に糸で結んで組上げる。
私達は既存の金属筬ではなく竹筬を手作りしたいから皆で真剣に聞いた。
非常に難しい行程ではあるが、なんとか出来るのでは無いかと思う。
*更に講師の先生には着物地や帯地の新作発表会を案内して頂き説明いただいた。 ここでは新しい色やデザイン、技術での新作。
私達の為に2時間半の時間を頂いた講師の先生は或る全国団体の会長を務めた方でした。
何回も“手機で自分だけしか織れないオリジナルを作って”下さいと示唆してくれた。
講座の間、周りには多くの若い女性達が熱心に手機や展示品を見詰めており、また子供たちが小型の手機で織体験を始めた。
今日、私は新しい西陣の力と発展の息吹きを感じました。
一階の入り口の吹き抜け舞台で着物ショーが開かれていた。
周りは外国人の観光客が7-8割か。
見る人達の熱気が伝わる。
真剣な、熱のこもった視線で若いお嬢さんが着物で歩く姿を見つめる。
本当に収穫の多い一日でした。
遊上陽子さんは抽象画家で蹴上のギャラリーで個展を開いており、2月3日は、そこで
パーティーをやるとの事で昨日購入した赤ワインを持参した。
吉田神社から歩いて約35分。
5-6年前に山を通じて知り合い始めて彼女の個展を見たのが、ここ、蹴上のギャラリーでした。 そしてその絵を見て、ム、ム、ム、解からない、だから遊上さんに何も言えない。 困っている私をみて遊上さんは、この作品は理解する物では無く、見たままに感じてもらえたら良いと言う。 しかし今までいわゆる抽象画を真面目に見た事の無い私には別世界の事。
私の性質として、相手が何であろうと理解しようと思うから、あの絵が夢にまで出て来る。
所が作者の方は自分でも理解出来ない絵だから、理解しようと思うなと。
引き下がる事が出来ないから、それから10数回見ている。
その内にパーティー等で彼女の友人達と話し全く別世界の仕事をしているのに話が出来る事もわかり、彼女の男勝りの性質や酒好きに付き合い慣れてきたのだろうか、今回の作品は見ても目に安らぐ。
不思議です。
理学部での実習を3時に終り、蹴上の友人が個展をしているギャラリーへ行く途中に吉田神社へ立ち寄った。
今まで知らなかったが京都では吉田神社の節分は有名だそうで、神社に近つくに連れて
混みあって来、漸く境内に入ると身動き出来ぬ位の混雑。
古い縁起物や破魔矢を返却する場所が境内の真ん中に火炉と呼ばれる高さ約5m、直径約5mの場所が設置されている。 午後11時に点火され火炉祭(カロサイ)が始まるようです。
その混み合った境内に神主さんに先導されて改心した鬼が廻っている。
鬼の扇子で頭を撫でられると厄除け(?)になるとかで喧騒がいっそう激しくなる。
そんな中で動画を撮りました。 下記を御覧下さい。
但しQuick timeでのみ御覧できます。
加茂
昨年の仲間と加茂で再会して祭りを見、遅い昼食を摂った。
10月29日は加茂祭り。
ここ、加茂は天平12年(740年)に聖武天皇が平城京からこの地に遷都し恭仁宮(くにきゅ)としたから、大極殿遺跡や名跡がある。
岩船寺(がんせんじ)は天平元年(729年)聖武天皇が行基に命じて建てられたといわれる。 阿弥陀如来、普賢菩薩、等平安、鎌倉時代の重文が有ります。
三重の塔も重文で隅垂木を支える天邪鬼がいます。
ここから浄瑠璃寺までの道のりには石仏が多数ある。
通称わらい仏といわれる石仏の笑顔はいいですね。
祭りの中で、地元の織物グループが古代織や綿から糸を紡ぐ道具の実演をしておりこのグループと話しが出来たのは収穫であった。
今回の遅い昼食は一番忌避したいバーベキューでしかも痛風の私は参加に躊躇したが野菜と持参の焼酎で乗り切った。
私が大阪に住み始めた頃に、夕陽丘という地名が有る事を知りましたが、キザな名前、と思っただけでした。
3年程前に、山の会で大阪の熊野古道を歩く企画をし、初めて夕陽丘を調べ、地名が平安時代、藤原家降という人がこの地名発祥に拘わった古い地名と知り驚きました。
10月8日、重陽の宴のおり、一心寺の高口長老による藤原家降についての講演があり、下記のような御話を聞きました。
家降は新古今和歌集編者の藤原定家の4歳年上の従兄弟で有るが、定家が官位を上げて出世して行くのに家降はなかなか出世が出来なかった。
定家も気に掛けながら家降に古今和歌集編纂の手伝いをたのんで居たようです。
しかし、定家は書でも詩論でも名を上げており家降には年下の従兄弟に対するやっかみ感情が鬱積していたのでは無いか。
そして79歳の時に出家しブッショウ(仏性)と名乗り京から、大阪の、夕陽庵(せきようあん)現夕陽丘に移り棲み、しかしそれから約百日後の4月9日に往生したと言う事です。
当時、極楽浄土のある西に向かって念仏をとなえる「日想観」がブームであったようですが、四天王寺の西門は極楽浄土の東門に通じるといわれ、特に御彼岸には、夕陽が丁度、
須磨と淡路島の間に沈むその光が四天王寺の西門から本堂と五重塔の間を通るといわれ、
非常に有り難い事と、人々が競って集まったといわれています。
このような所で家降も熱心に夕陽に祈り、そして漸く定家の縛りから解け、定家の手が届かない高みに達したと思ったのでは無いか。
大阪の上町台地にある夕陽丘は今ではとても想像が出来ない位、見事な夕陽の名所であったようです。
一昨日、友人が出展している神戸二紀会に行ってきた。
会場に入って4-5m歩いた途端に、絵の印象が強烈に襲って来た。
なんだろう、この間見た日展とは全く違う雰囲気である。ここには日本画、
洋画の区別が無い。
絵のモチーフが違う。
なにかタイムトラベルのような、SF的な世界の印象が強い。
また、なんとなくアジアのダイナミックさを感じる。
絵のモチーフとその表現に創造性を感じる。
家に帰って二紀会のHPを調べると、下記の主張があった:
美術の価値を流派の新旧に置かず、
皮相の類型化を排する。
具象・非具象を論じない。
流行によって時代を誤ることを極力避ける。
真に新たな価値を目指し、創造的な個性の発現を
尊重する。
情実を排しつつ新人を抜擢し
これを積極的に世に送ることに努める。
非常に当然な主張ですね。
それを主張する所に旧来の美術界に問題があるのだなと感じる。
見終わって、そのダイナミックさを強烈に感じたが、殆どの絵から、なんとなく同じような感じを受けたのは私だけなのか?