熊野古道完歩会

November 20, 2014

大辺路第一歩 新宮 10242014

大辺路第一歩 新宮 10242014

10月24日の午後遅く新宮に到着後、先ずは神倉神社に行く。

麓で杖を借りて石段を登る。最初の1/4位が傾斜が一番きつくそれを過ぎると

なんとか行けます。

勘定すると約450段を数えた。(数え方は人に依って違う)

本尊の大きな石が覆いかぶさるようにセリ出ている。

そしてその石の前から海を臨む。

心が広がった。

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October 30, 2014

奇跡の二日間

奇跡の二日間

4月27,28日に発心門から熊野本宮を歩き、これで大阪の八軒屋址を出発した熊野古道歩きが完成した。

その時、次の行程として、小雲取、大雲取越えを6月14、15日にやろうと決めた。この時誰も梅雨の最中で、しかも多雨の熊野山地をこの時期に歩く危険性を考えて居なかった。ちょっと常識外れの計画であった。

613日の昼過ぎに大阪駅を出て電車を乗り継ぎ、紀伊田辺でバスにのって約2時間掛けて請川の宿に到着。

一日目・小雲取越

14日は5時45分に宿を出て登り口へ向かう。

当然私たちが最初のグループと思っていたが、なんと男女二人が先行して登って行く姿が有った。 あとで追いついて聞くと、このカップルは田辺の人たちで、この朝、車で請川に来てのぼり百閒嵓あたりまで行き、そこで引き返すと言う。

前半は林間越に熊野川が見え景色を楽しめた。

百閒嵓は流石に高度感が有って見通しがよい。

この辺りから時々ササユリに出会う。

やがて中間地点の小口の集落が高度感を持って見えてきた。ここからはかなりの急坂を下る。

この日、このルートで出会ったのは4-5人!

 

二日目・大雲取越

今日は那智勝浦から大阪へ行く今日最後の特急に帰る予定なので、4時半に宿を出発。 流石に最初の1-2時間は体が鈍い。

楠の久保旅籠跡を過ぎ越前峠に向かう“胴切阪”は最高に苦労した登り坂。

途中、同行者が提供してくれたグレープフルーツの一切れが命を救ってくれたように活力を補充してくれた。

一部舗装された林道を歩き、“亡者の出会い”等と言う場所を通過して、ついに熊野那智大社に到着。一時五十分であった。

この日なんと対向者には誰も出会わなかった!!

私は那智大滝の滝壺ちかくまで行き滝の迫力ある威力に接した。

バスで那智勝浦駅へゆき、無事に特急に乗車。

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March 28, 2012

熊野古道完歩会 第六回 03202012

9時過ぎにJR新家駅を出発して前回終わった古道の四角から歩き始める。
最初に着いたのは樫井古戦場で大阪夏の陣の際、ここで東軍と西軍が対峙したが西軍の埴団衛門が抜け駆けして西軍の布陣を崩し負ける原因となったそうです。
次に訪れた海会寺跡は7世紀建立で法隆寺と同じ伽藍配置であったそうです。 回廊の柱跡に赤いレプリカが建てられていました。
厩戸王子跡は地元の人に聞いて田圃のあぜ道を通りたどり着く。
信達一ノ瀬王子跡は表示が無いので確認は出来ないが社のなかに馬頭観音があり多分ここがそうであろうと考えた。
JR線を越して山道を上がると林昌寺がありこのお寺は天平年間(729-748)に開創されたが信長の根来攻めで全焼。江戸時代に再建されたそうで見事な名庭園が斜面に配置されている。
長岡王子跡を求めて岡中の楠を遠方から見つけ畦道を通って楠がある社にたどりついたが付近で聞きまわるも長岡王子跡の消息はつかめなかった。その代りこの楠の大木をじっくりと見ました。 周りに別の木がないのでその大きさが遠方からも見える。 帰りのJR列車からも良く見えました。
そして愈々街道一の難所と言われる琵琶ヶ懸崖を通った。
地蔵王子と馬目王子跡は街道沿いにあり比較的容易に見つけられた。 
山中宿はビックリ。 地元の人たちが多分町起こしで石畳を整備し見事な景観を作りだし
ています。
新家駅からJR山中渓駅まで約10kmを6時間(休憩、昼食時間を含む)で歩いたから今回は比較的短かったのですが変化に飛んだ楽しい歩きが出来ました。
これが実質大阪歩きの最後です。次回からは愈々紀州路となります。

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March 06, 2012

熊野古道完歩 第五回 02192012

今回はJR東岸和田駅を出発して先ず道の池の地蔵をさがした。

池のほとりにあり、昔の古道の脇に置かれた地蔵の風情を漂わせる。

池の表面を良く見ると細いテグス糸が前面に張り巡れされている。鳥よけなのか? 付近の別の池でも同様です。

次の麻生川王子は三和製作所の所にあるようだが休日で誰も居らず、また付近に人が居ない。

半田一里塚は熊野古道に設けられていた一里塚の原型を留めているようです。

旅人達がこの塚の木陰での休憩している姿が見えそうですね。

地面を走る水間鉄道を横切り積善寺城跡をみます。 大阪(石山城)を手に入れた信長は秀吉に紀州平定を命じましたが、根来衆と雑賀衆の鉄砲を使い金でいる彼等に手を焼きました。だからこの小さな城も中々落とせなかったようです。

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和泉橋本駅近くにある丸山古墳は小さいけれど前方後円墳ですが周りがびっしりと人家に取り囲まれ隣接しえいます。

この付近にあったといわれる蔵持王子と近木王子は南近義神社に合祀されていました。 そして鶴原王子は全く手がかり無くあきらめる。

佐野王子は綺麗にしっかりと整地された小さな公園様になっており気持ちが良いですね。

そして戦国武将、塙団衛門の墓を過ぎると皆さんの疲労も逼迫し和泉砂川駅まで行く事は断念して一つ前のJR新家駅で今回の修了とした。

その近くで籾井王子跡は近所の人に尋ねて民家の庭の奥にひっそりと佇む石碑を見つけた。

今回は新家駅でほぼ18kmの距離となりました。

 

 

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February 10, 2012

熊野古道完歩 第四回 01292012 番外2

第四回も終盤になり夜泣き石を探す為にどなたかに聞こうと思ったが誰も居ない! 本当に居ない!

線路の方向に何となく曲がって行くと向こうから人が来た。

手を挙げて「お尋ねしたい」と声をかけるとそれは僧職の方で

「夜泣き石を探しているのですが」

「ああ、そこです」

附いてゆくとお寺の入り口の右手の一角に石が有った。

その僧職は石の謂れを詳しく説明してくれました。

その石が岸和田城にもち込まれたが帰りたい石はさくざえ、サクザエと夜ごと無き気持ち悪くなったので返した。 近くに橋を架けるためにこの石は再び移動されたが、不要となり、もとに戻そうとしたが、動かされる石はいやがって重量をましたので、運ぶ先は慈光寺と言うと石は重量を軽くして運びやすくした。 そのような言い伝えを教えてくれた。

その僧職に作才町という不思議な名前の事を聞いたが、直接の説明はできないが、ただ、昔、作才地区は過酷な年貢(7割!)をかけられ、これでは生きて行けぬと逃げた。 逃げた先はなんと五島列島だそうです。

そんな遠島まで逃げぬと追跡される。そんな過酷な時が有ったのだ。

 

 

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February 07, 2012

熊野古道完歩 第四回 01292012 番外1

今回のルートは、その多くを岸和田市の東部を歩いた。

だから今回の歩き中に、方々で地車(だんじり)を保管するだんじり倉庫を見ました。

その一カ所で幸運にも保管庫の扉が開いていた。

若い衆に話を聞くと、定期的に扉を開き倉庫に風を入れ、だんじりに風を当てるのだそうです。 

ダンジリを作るに際し、製作所は岸和田だけで無く、大きく言うと日本中の木工彫刻所に依頼するのだそうです。

このダンジリは約9000萬円かかったそうです。

暫く歩き別の町でダンジリを新調する為の寄付者の掲示板を見ました。

名前はボカシ処理をしました。

一番上の右端が最高で300万円の寄付者。 一番下の左端が2000円の寄付者。

全て名前が表示されています。

多分、昔からの手法に従ったのでしょう。

大胆ですが、誰にとっても明快で、隠しっこ無し。

 

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February 06, 2012

熊野古道完歩 第四回 01292012

今回はJR北信太駅から東岸和田まで約13km。

北信太の駅に「葛の葉伝説」子別れの場面の大きな絵が描かれていた。

当初の計画では葛葉稲荷神社には立ち寄らない予定であったが、この駅で掲げる大きな絵を見て、行かざるを得なくなった。

安倍清明の母はキツネといわれており、するとこの葛葉姫なのかな。

街道をたどり一の鳥居を過ぎ南下する。 葛葉神社からこの辺り、昔は信太の森といわれ深い森があったようです。

やがて篠田(信太)王子跡。

次の井ノ口王子はすこし引っ込んであるのでうっかり見落としそう。

そして信太山駐屯地正門前をすぎ泉井上神社をお参りして、井ノ口王子跡は古道に面している。

古道から土手を少し南下して小栗橋を渡ると小看板があり古道を説明しているがはっきり解らない。

暫く行くと工場らしい門のロープを潜り、やがてハッキリと工場の敷地内と判明する。牛乳工場で正面の守衛に挨拶すると、皆さんのような人が多くいますと。古道は工場敷地の南側、川の土手下を通っていたようだ、と守衛さんの説。

次は、久米田駅近くにあると言われている池田王子跡だが駅回りの複雑な小道にうんざりした頃に説明版に出会うが跡地は何も無い。

ここから進路を南東に振り久米寺に入る。 おおきな寺です。 立派な校倉作りの宝物殿でしょうか。

古道沿いの和泉式部の関連場所を探したが畑で作業中の方に聞いて漸くそれらしき場所を見つけたが写真のように式部以外になにが書いてあるかわか有りません。想像ではここは”恋ざめの淵”

そして東岸和田駅の方向に向かって入った道で出会ったお坊さんに“夜泣き岩”の話を聞き、駅に到着。

参加者の万歩計で28000歩で距離は約16kmでした。

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December 22, 2011

熊野古道完歩 第三回 120911

12月9日

今回は南海の堺東駅が出発点。

前回通った反正天皇陵の横を通ってけやき通りに出て仁徳天皇陵に向う。

陵の手前に、竹内街道があり更に西高野街道を渡って仁徳天皇陵の堀沿いに正面に向かう。

ここから南宗寺へ向かうが私はかって何回も通った。

さて堺市内の熊野街道の位置は堺の中心部である浅香かあたりからこの南宗寺まで不明なようです。今回はネットで拾った案内を参考に歩いた。

南宗寺の南西に山ノ口橋がありそこから堺市の熊野古道が始まり最初のポイント石津神社は日本でも最古の戎神社だそうです。

石津川を渡って大鳥神社を目指す。

大鳥神社は大きい! 大和武尊命を祭っておりその像がある。

拝殿の後ろの本殿は屋根の一部しか見えません。

そして熊野古道は鳳商店街のアーケードを通る。 熊野古道唯一のアーケードのようです。

やがて堺市市境を出て高石市に入り、人を探して漸く畑の中のおばさんに小金塚古墳の場所を聞くとあそこに見える丘の上と解った。

舗装が無くなり地道となり畑のあぜ道を経て段上の畑を乗り越え草をかき分け漸く頂上にでると小金塚と掘られた石塔がある。

そして今回はJR北信太駅を終了点として終わった。

みなさんの万歩計からすると今日の行程は約15km。

出発の堺東駅から北信太駅まで約6時間。

途中、にわか雨に会いながらも諦めず良く歩きました。

 

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December 05, 2011

熊野古道完歩 P2 120511 

11月13日、パート2の朝である。

所がこの日の計画を完全に忘れていた!

天王寺駅に9時集合は私が決めた事なのに。

9時半に電話がかかってきた。

私の頭はガーン、、真っ白になった。 「ごめん、1時間待って」

オットリ刀で駆けつける。 こんな事は今まで無かったのに!

待ちぼうけの皆さんにはただ平謝りです。

10時半の出発となりました。

最初は阿倍清明神社。 古道とは直接関係無いが重要な神社です。

安倍清明はここ阿倍野で生まれたといわれています。

そして直ぐ隣の阿倍王子神社。 ここは大阪で唯一の現存する王子です。

境内にあった王子の説明文。

私たちの今日の行程は大阪と堺を結ぶ路面電車の阪堺線に沿って進みます。

久しぶりに走る電車を見ると、同じ路面を柵も無しで走行する電車には迫力を感じます。

次は住吉さんの広大な敷地に入り訪ね訪ねて窪津王子跡を見つけました。

更に南下して大阪市の南端に近つくと明治18年当時と表示された路面版があった。 そこに遠里小野(オリオノ)地区がある。

1704年に大和川の洪水に悩まされていた事を避けるべく大和川を付け替え今の位置になったそうでその為に遠里小野地区は分断され今でも大阪市と堺市両方に遠里小野の地名がのこる。

大和川を渡り更に刑務所の近くで境王子を見て堺東駅で今回の終点とした。

 

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October 14, 2011

熊野古道完歩 P1 100211

熊野古道の完歩を目指して第一回目の歩きを行った。

出発は、京阪天満駅斜め前の永田昆布店の前にある“八軒屋跡”の石碑。

ついで座間神社行宮に看板の説明だけの窪津王子跡。 これが最初の王子。

次いで南大江公園の一角にある狸穴神社のよこの説明で坂口「王子伝承地。

そして高津神社にある群戸王子推定地石柱。

本日最後は堀越神社の熊野第一王子の宮を見た。説明では第一王子窪津王子は当初八軒屋付近にあったが、そのご四天王寺の西門近くにあった熊野神社に祭られ、その後堀越神社に合祀されたと言う。

何れも不確かではあるが、兎に角今調べて解る王子、王子跡をたどって、次回は天王寺から堺に向かいます。

今日のルートは私自身3回目で何れも榎神社、空堀商店街、三光神社(真田の抜け穴)、旧陸軍墓地、近松門左衛門の墓、愛染さん、大江神社、藤原家隆の夕陽丘記念碑、安居神社(真田雪村の終焉地)を回りました。

 

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