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March 26, 2012

天草の旅 P4-田原坂 03122012

田原坂は前から非常に気になっていた場所で今回、熊本城へいったのでそこから田原坂へ立ち寄った。
かなり高齢のボランタリの老人が案内してくれた。
しかし自分の興味が先走り案内の先を行ってしまう。
最初に気が付いた事は田原坂の位置で山の中では無く丘のような場所で何故このような場所で激戦が行われたのであろう?
場所によって違うであろうが薩摩軍が先に布陣をしており下から攻める政府軍を丘の上に向かう道の両側から挟むように打つので思うような攻撃が出来なかったようです。
薩摩軍に包囲され熊本城に籠城されている政府軍は食糧が不足しているので政府軍は早くこの田原坂を突破したい。
突破のきっかけを作ったのが近衛兵の大砲でこの砲撃が薩摩軍に打撃をあたえ政府軍はようやく突破出来た。 熊野古道完歩会の第一回で真田山の旧陸軍墓地で説明を受けた近衛兵の墓石はここで戦った人たちなのだ。
西南戦争では政府軍6,923人、薩摩軍7,186人という大量の戦死者の内、ここ田原坂で約4、000人の戦死者というから、まさに西南戦争の勝負を決めた戦いであったのだ。
関ヶ原の戦いでの戦死者は約8,000人と言われているから西南戦争での戦死者は史上最大の数かもしれない。 その為にこの戦争で日本赤十字社の基礎となる組織が出来たそうです。
“雨は降るふる人馬は濡れる。 越すに越されぬ田原坂
右手に血刀、左手に手綱、馬上ゆたかな美少年”の歌が流れ、
“美少年”の銅像がありました。
最後に私が気になって居た質問を老ボランティアにした。それは
“基本的には薩摩が起こした戦争で熊本の地が激戦の戦場になった事に対し熊本の人たちはどう思っていますか?”
”熊本は薩摩と同盟かんけいにあり薩摩を応援していた。 薩摩人の強さを尊敬していた。”
なるほどと思いました。田原坂には薩摩人の墓地等を見ると手厚く葬むられている事が伝わります。 そして”馬上の美少年像”は薩摩人といわれそれを地元の人たちが故郷創生基金で作ったのだと聞きました。
短時間で博物館を見る時間が無かったが非常に心に残る場所でした。


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