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February 2012

February 20, 2012

護衛艦“いせ” 02122012

土曜日の昼前に友人から突然の電話で自衛隊の護衛艦を見に行かないかと誘われた。 取りあえずカメラを持って家を飛び出す。

乗船出来たのは昨年3月に就役した海上自衛隊の護衛艦”いせ”

航空機用エレベーターに乗って飛行甲板へ。

太陽に輝く甲板に出ると心がわくわくする。

哨戒ヘリSH60J/Kを真近で見、その反対側に高性能20mm機関砲がある。 ウウアー  発射速度が1秒間に60-75発!

ファントム戦闘機にも載せていたそうだ。 この砲は自動追尾防御システムで自動射撃が出来るそうです。この発射速度では人間の判断や対応能力がおいつかない。

もらったカタログによると、戦前の海軍の軍艦”伊勢”の全長が219.6m、この”いせ”の全長197mと表示されている。

軍艦伊勢“は後に改装され航空戦艦となり22機の航空機が搭載出来たという。 小型の航空母艦である。

護衛艦“いせ”も多分小型機の発着が出来るから小型の航空母艦。

護衛艦“いせ”は今のアジア情勢に適応できる優れた船だと思う。

私は右翼では無い。 しかし自分の国は自分で守る事は世界の常識であり私の常識であるがしかし、日本ではそれが常識では無いように言われている。

この護衛艦に乗っていると、その意味が身に沁みる。自分の国を守る大切な艦艇に乗船して、風にたなびく日章旗(軍艦旗、海上自衛隊旗)を見ると血が湧く思い。

久しぶりに興奮した一日でした。

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February 13, 2012

仲間 02042012

定期的ではないが、ほぼ2-3年置きに会って会食する仲間の会を開いた。

メンバーは40年以上前に一緒にスイス系機械輸入商社で働いた仲間5人。

今回は京都の聖護院御殿荘に宿泊した。

会食が目的だから観光は重視しない。

でも、翌日、宿からタクシーで南禅寺へ。

そして疏水の水門閣を上り南に辿ると丁度疏水がトンネルを出た地点に着く。

トンネルから出た疏水の一部はここから発電所用の水路(管)に入る。

今来た道の方向には哲学の道横の水路にゆく。

これで、琵琶湖の疏水取り入れ口から伏見港で淀川に出るまでの全行程を辿る事が出来た。

インクラインのレールを下り疏水記念館を見て白川沿いに祇園に向かう。

その途中でなんと今まで全く気が付かなかった明智光秀の首塚を発見!

5日の昼過ぎに解散となった。

次回は決めて無いが多分一年後かな。

 

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February 10, 2012

熊野古道完歩 第四回 01292012 番外2

第四回も終盤になり夜泣き石を探す為にどなたかに聞こうと思ったが誰も居ない! 本当に居ない!

線路の方向に何となく曲がって行くと向こうから人が来た。

手を挙げて「お尋ねしたい」と声をかけるとそれは僧職の方で

「夜泣き石を探しているのですが」

「ああ、そこです」

附いてゆくとお寺の入り口の右手の一角に石が有った。

その僧職は石の謂れを詳しく説明してくれました。

その石が岸和田城にもち込まれたが帰りたい石はさくざえ、サクザエと夜ごと無き気持ち悪くなったので返した。 近くに橋を架けるためにこの石は再び移動されたが、不要となり、もとに戻そうとしたが、動かされる石はいやがって重量をましたので、運ぶ先は慈光寺と言うと石は重量を軽くして運びやすくした。 そのような言い伝えを教えてくれた。

その僧職に作才町という不思議な名前の事を聞いたが、直接の説明はできないが、ただ、昔、作才地区は過酷な年貢(7割!)をかけられ、これでは生きて行けぬと逃げた。 逃げた先はなんと五島列島だそうです。

そんな遠島まで逃げぬと追跡される。そんな過酷な時が有ったのだ。

 

 

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February 07, 2012

熊野古道完歩 第四回 01292012 番外1

今回のルートは、その多くを岸和田市の東部を歩いた。

だから今回の歩き中に、方々で地車(だんじり)を保管するだんじり倉庫を見ました。

その一カ所で幸運にも保管庫の扉が開いていた。

若い衆に話を聞くと、定期的に扉を開き倉庫に風を入れ、だんじりに風を当てるのだそうです。 

ダンジリを作るに際し、製作所は岸和田だけで無く、大きく言うと日本中の木工彫刻所に依頼するのだそうです。

このダンジリは約9000萬円かかったそうです。

暫く歩き別の町でダンジリを新調する為の寄付者の掲示板を見ました。

名前はボカシ処理をしました。

一番上の右端が最高で300万円の寄付者。 一番下の左端が2000円の寄付者。

全て名前が表示されています。

多分、昔からの手法に従ったのでしょう。

大胆ですが、誰にとっても明快で、隠しっこ無し。

 

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February 06, 2012

熊野古道完歩 第四回 01292012

今回はJR北信太駅から東岸和田まで約13km。

北信太の駅に「葛の葉伝説」子別れの場面の大きな絵が描かれていた。

当初の計画では葛葉稲荷神社には立ち寄らない予定であったが、この駅で掲げる大きな絵を見て、行かざるを得なくなった。

安倍清明の母はキツネといわれており、するとこの葛葉姫なのかな。

街道をたどり一の鳥居を過ぎ南下する。 葛葉神社からこの辺り、昔は信太の森といわれ深い森があったようです。

やがて篠田(信太)王子跡。

次の井ノ口王子はすこし引っ込んであるのでうっかり見落としそう。

そして信太山駐屯地正門前をすぎ泉井上神社をお参りして、井ノ口王子跡は古道に面している。

古道から土手を少し南下して小栗橋を渡ると小看板があり古道を説明しているがはっきり解らない。

暫く行くと工場らしい門のロープを潜り、やがてハッキリと工場の敷地内と判明する。牛乳工場で正面の守衛に挨拶すると、皆さんのような人が多くいますと。古道は工場敷地の南側、川の土手下を通っていたようだ、と守衛さんの説。

次は、久米田駅近くにあると言われている池田王子跡だが駅回りの複雑な小道にうんざりした頃に説明版に出会うが跡地は何も無い。

ここから進路を南東に振り久米寺に入る。 おおきな寺です。 立派な校倉作りの宝物殿でしょうか。

古道沿いの和泉式部の関連場所を探したが畑で作業中の方に聞いて漸くそれらしき場所を見つけたが写真のように式部以外になにが書いてあるかわか有りません。想像ではここは”恋ざめの淵”

そして東岸和田駅の方向に向かって入った道で出会ったお坊さんに“夜泣き岩”の話を聞き、駅に到着。

参加者の万歩計で28000歩で距離は約16kmでした。

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February 01, 2012

有馬氷瀑 01228 2012

今年の氷瀑はやはりこの日は早すぎたようです。
滝のボリュームが去年の半分位に感じる。
しかしこの七曲滝がこのように氷結している姿を見ると感動します。
百閒滝も似位滝も結氷した造形の美しさは素晴らしいですね。
七曲滝直前の道。 危険ですね。 前なら強引に渡ったと思うが今回はロープも無く“危険に近ずくな”と、引き返し巻道を通る。
引き返す勇気等、要らぬ。 唯、淡々と引き返したら良い。
私も漸くそのようになってきた。
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