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October 2011

October 31, 2011

従兄弟会 101911

今年は第三回目で私が企画し大阪で行われた。

最初はグランド花月で前から2列目、少々首が痛かったが思いっきり笑った。

しかし、昔コンビで鳴らしたキヨシには話の面白みが無く、八方にも旨さが感じられない。 ほかの若手に伸びを見た。

二日目適塾はから始まった。

私は三回目であるが今回初めて適塾の座敷や手洗い、蔵の配置が下諏訪の母方の実家そっくりである事に気が付いた。

この日は京都大原まで行き民宿に宿泊。

三日目の朝、三千院は残念ながら一番目の入場は逃したが座敷に座っても他の客が居らず朝の静寂と朝日が差し込む座敷や庭の様子を心地よく鑑賞できた。

朝の、まだ混み合わない内に鑑賞したいと言う目標は達成されて皆さん喜んで頂けたようです。

 

 

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October 23, 2011

旧陸軍墓地 100211

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古道歩きの途中で旧陸軍墓地に立ち寄った。

過去3回の歩きでもこの墓地を見た。

最初、三光神社の真田の抜け穴を見、三光神社裏の少公園で休憩して、そこから上に行くといきなり墓地でその雰囲気にビックリし、それ以来私が案内する歩きでは必ずここに来た。

今回は、墓地中ほどで若い女性が声をかけて来て、「納骨堂を見ますか?」

「へー、見られるのですか?」 見られると聞いて中に入ると年配の女性がおり 「中の納骨を見ますか?」と聞かれたのでハイと。

中には電燈が無いようで懐中電灯で照らしてくれたその先には小さな段に小さな骨壺(約10x15cm位)や位牌がぎっしりと置かれていた。

彼女たちや若い学生さん達は骨壺の包装に書かれている名前や所属、日時などを記録しているようです。

丁度この墓地を良く知っている中下さんが来たから詳しく聞いて下さいと紹介された中下さんは83歳の御高齢にも係らず非常にハッキリとした口調で、私たちのここで滞在できる時間を聞いたので約1時間と答えると、「では、それに合わせて案内します。最初はこの墓地に出来た最初の墓標を見せます。」

下田織之助と言う人の墓石で昔の墓石には記録が掘られており中下さんは非常な興味を持って山口県の周防大島を訪れたて彼が神社の神主である事が解った。

のちに彼の曾孫が作詞家の星野哲郎であったそうで、星野から中下さんに2回電話があり、必ず墓石を見に行くからと案内を頼まれたそうですが、二回目の電話から二か月後に星野さんは亡くなってしまったそうです。

通常戦地で戦死した人たちは皆、靖国神社にゆくが、ここの墓地に葬られているのは戦死ではなく病死、事故死等直接の戦死以外での死者だそうです。 それが西南戦争から日清、日露戦争の半ばまでをカバーしています。

ビックリした事は、病死者、縊死者、等等を陸軍がちゃんと葬っている事です。

かってこのような陸軍墓地が全国に80カ所あったが今は種々の事情で縮小され完全な形で残っているのは、この真田山だけです。

中下さんはこの墓地の墓石は殆ど覚えているのだそうです。

当然ながら墓石にはそれぞれストーリーが有り、皆さんにそれを知って欲しいと言われています。

中下さんからは沢山の墓石に纏わりお話を聞きました。  

墓石の品質が悪く表面がはがれて刻み込んだ文字が読めなくなります。 

私たちが中下さんに案内されている時も2人の学生が墓石の記録を書き写していました。

今、NPO法人 「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」が沢山の人に知ってもらい、さらに保存活動を強化する活動をしています。

詳しくは下記ホームページをご覧ください。

http://www.jttk.zaq.ne.jp/bacas400/sanaboti/

戦争の事、近代史の事、少しでも興味のある人は、是非ともこの墓地をご覧ください。

墓石に“縊死”などと書かれた記録がはげ落ちないうちに!

 

この「保存を考える会」では第四日曜日の午後1時半から1時間半、定期的に現地案内会を開催して居ます。 11月は中下さんが担当です。

最近、中下さん自身は「軍夫の墓」に興味を持って取り組んでいるので、特に

「大阪の軍夫」の資料を持っている方が居れば連絡を取りたいと言っていますので上記「保存を考える会」にご連絡下さい。

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October 14, 2011

熊野古道完歩 P1 100211

熊野古道の完歩を目指して第一回目の歩きを行った。

出発は、京阪天満駅斜め前の永田昆布店の前にある“八軒屋跡”の石碑。

ついで座間神社行宮に看板の説明だけの窪津王子跡。 これが最初の王子。

次いで南大江公園の一角にある狸穴神社のよこの説明で坂口「王子伝承地。

そして高津神社にある群戸王子推定地石柱。

本日最後は堀越神社の熊野第一王子の宮を見た。説明では第一王子窪津王子は当初八軒屋付近にあったが、そのご四天王寺の西門近くにあった熊野神社に祭られ、その後堀越神社に合祀されたと言う。

何れも不確かではあるが、兎に角今調べて解る王子、王子跡をたどって、次回は天王寺から堺に向かいます。

今日のルートは私自身3回目で何れも榎神社、空堀商店街、三光神社(真田の抜け穴)、旧陸軍墓地、近松門左衛門の墓、愛染さん、大江神社、藤原家隆の夕陽丘記念碑、安居神社(真田雪村の終焉地)を回りました。

 

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October 08, 2011

堺歩き 100111

マイスターの仲間と堺を歩いた。

JRの百舌鳥駅で集合。漢字3文字でモズと読む、と解っていても不思議だね。

当然最初は仁徳天皇陵だが最近は大仙御陵と言うようです。 つまりこの御陵に埋葬されている方が仁徳天皇かどうか解らなくなったそうです。

南宋寺は堺の町の中に大きな敷地を持ったお寺です。

私が一番興味のあるのは徳川家康の墓石である。

時間軸:

*1615年(元和元年) 大阪夏の陣 家康74歳

                     ここで死去(南宋寺由来書)

*1616年(元和2年) 4月に 家康死去75歳。

一般的に信じられている。

*1623年(元和9年) 7月 徳川秀忠 南宋寺訪問(南宋寺由来書)

*1623年(元和9年) 8月 徳川家光 南宋寺訪問(南宋寺由来書)

中国の史書にしても日本の日本書紀にしても権力者の都合で作られた物だから

徳川家の正史のように伝えられている歴史や史実もこの場合は家康の子孫の都合に良い解釈で書かれていると見て間違いないと思う。

だから意外と言い伝えの方が正しかったりする。

私には家康が死ぬまでの約1年は影武者が代役をしていた事と思う。

1616年と1623年の7年差は意味が有るのか? 

7周忌は数え方が違うかな?

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October 05, 2011

飛騨 番外 091911

宮川種蔵付近の民家には非常に特徴的な木組があります。

それを見ているとスイスのある地方の特徴的な家を思い出した。

スイス本社の私が働いて居る部門のマネージャーはFSと言う。 彼の出身地がアッペンツエル(Appenzell)と言うカントンでアッペンツエルの人たちは

背が低く、家の窓が小さい。 ところが我がマネージャーは190cmを超す巨漢であった。

ウェブで探して漸くアッペンツエルの写真を見つけました。

 

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飛騨 P4 091911

飛騨市の北にある宮川の種蔵は板倉と石積棚田で成っています。

田圃の面積を出来るだけ大きくする為には棚田の段の角度を急にすれば良い。

この為に此処の棚田の段は直立に近くその為に石積となっている。 城の野ずら積に似ている。

もう一つの特徴は当初種蔵と言われた板蔵で、米や穀物、野菜の種を入れる為の蔵で人が住む住居と距離をとり住居が火災にあっても離れている種蔵には延焼せず結果翌年の種が保存出来るわけです。

それと、この地区の真ん中には小山が有るがその上まで田圃がある。 この為に周りの山よりサイフォンで水を送っている。

それほどまでに昔の農民は米を作りたかったのです。

 

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October 04, 2011

飛騨 P3 091911

奥飛騨に岐阜県立池ヶ原湿地がある。

周りを小さな小山に囲まれたこじんまりとした湿地帯で4月の後半から5月中にかけて

水芭蕉が見れるそうです。

まだあまり訪問者が多くないようで綺麗に保たれており湿地を流れる小川にはヤマメの泳ぐ姿が見えた。

白樺に囲まれ静寂で気分が癒される場所です.

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October 03, 2011

飛騨 P2 091811

飛騨 P2

白山の南西山麓に白水滝があり落差約70mの大きな滝です。

近くには行けず、だから対岸の展望台から見るもその迫力は伝わる。

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その奥に白水湖がありヒュッテと露天風呂があります。

ヒュッテの主人は人に勧められて大型犬を飼っている。

理由はその人がこの辺は熊が多いからこの犬を飼えと。

それ以来、熊の出没は殆ど無くなったそうです。

歩いて30分ほど行くと閉鎖されたキャンプ場がありその一部に湿地帯があります。

あまり人に知られていないようです。

枯れ木が”ヤッホー”と諸手を挙げて歓迎してくれた。

別の枯れ木が”助けてくれー”と言っていた。

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