飛鳥 050711
マイスターの企画で5月7日に飛鳥を歩いた。
参加者30名の内、私ともう一人、つまり2/30が初めて飛鳥を訪れる!
そのもう一人の女性も私と同じく“時の為政者は何故この飛鳥の地に都を作ったのか。 その地勢的理由を体感したい”と思っていた。
まず、空っぽの高松塚、亀石、聖徳太子出生地、石舞台、岡寺、酒船石、板葺の宮跡、飛鳥寺、首塚、甘粕の丘、等ほぼ全てを歩いて回った。
甘粕の丘の上で飛鳥を一見しそして当時の都の人口は2-3万人位と聞き、漸く何故飛鳥の地に都が出来たのか感じられた。
甘粕の丘の西側、後の藤原の宮の大きさは2-3万の人口には大きすぎ、統治、防衛、は無理な事がわかる。
写真は甘粕の丘から撮影した飛鳥中心地。
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