鹿児島 いとこ会3 102910
今日はこの会の最終日。 市内のホテルを出ると仙厳園へ行く。
今日まで全く知らなかったが此処は鹿児島の宝物のような場所。
初めは万治元年―1658年 島津光久が別荘として構えたようです。
先ずはその場所の凄さ。 桜島を借景の背景として錦江湾を池と見立てている。
その広大な敷地の樹木は数百年の歴史を背負ってどっしりと構えている。
封建時代の島津という強力な権力が無ければ到底出来ないと思われるこの庭である。
そして隣にある尚古集成館には幕末1851年に島津斉彬が藩主となり富国強兵、殖産興業政策を推進すべく集成館事業を起こし造船、造砲、製鉄、紡績、ガラス、印刷、電信、医療等に及んだ。 その一部の部品や機械を展示しています。つまり斉彬という人は、本来幕府がやらなくてはいけない日本と言う国の行く末を見通した事業を実行した人ですね。
[ここで私が6-7年前に鈴鹿山脈の鍋尻山と烏帽子山に登った時に、霊仙山や伊吹山、その麓に広がる関ヶ原が目視出来、その結果、島津義弘の敵中突破のストーリーを書こうと思い立ち“島津越え”と言う題で書いて山の仲間に見せた事がある。
尚古集成館の展示に中に「慶長役合戦図屏風」の一部が展示されていたのでその写真が載っている書物が無いか聞くと係の女性が探してくれて「尚古集成館」という本を買って来た。 その中に鋒矢(ほうし)の陣形が描かれているのではと思って屏風図を探したが残念ながら無かった。確か義弘は泗川での戦と関ヶ原での敵中突破にこの鋒矢(ほうし)の陣形をとったはずだ。]
昼食は有名な薩摩の黒豚料理店で旨い黒豚料理を頂き今回の、いとこ会はこれを以って解散となりました。
いままで知らなかった鹿児島を案内して頂き、幹事さんには本当に感謝です。
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