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May 06, 2010

敦賀―武田耕雲斉の墓

5月1日はマイスターの自主講座で敦賀に来た。

地元のボランタリーグループの人から駅前の看板に書かれた案内図で、これから行く御 池見の場所を説明。

その地図に“武田耕雲斉の墓”が書かれていた。

化学反応のように、直ぐに“行こう”と決めた。

駅に戻り観光案内所で武田耕雲斉の墓への行き方を訪ねると2番乗り場から3時52分のバスで行って下さいと。 仲間に話す時間も無く直ぐにバスに飛び乗った。

誰も居ない墓地で武田耕雲斉とその仲間達に静かに手を合わせ“御苦労さま”

墓までの道のりの左右には、水戸やその周辺の人たちが植樹をした記念の柱が沢山立っています。 そして移設されたとはいえ、当時処刑されるまで閉じ込められていたと言われるニシン倉庫。

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既視感(デジャウ)

もう10年程前か、山の会で12月に能郷白山に行ったがそのおり地図を調べていると福井から登る場合の登山口、温井峠の東に“蠅帽子峠”という地名が峠のしるしと共に書いてあるがその峠に続くべき道が無い。  問題は“蠅帽子峠”と言う変な名前を別の所で見た覚えがある。 そう、吉村昭の“天狗騒動”だ。 武田耕雲斉に率いられたほぼ千人の天狗党が水戸から中山道を通って上京しようと行軍する。 その途中で伊根谷を通って“蠅帽子峠”を通り大野側に入る。 その本で見たのだ。

雪に覆われ寒風吹きすざむ能郷白山山頂から温井峠、その先に有るであろう“蠅帽子峠”の方向を見て感慨を覚えた。

天狗騒動:

水戸藩内の闘争で敗れた尊王攘夷派の藩士を主導した家老の武田耕雲斉が苦難の行軍で中山道を通り今の岐阜あたりから北上して根尾谷に入り、能郷、谷汲から“蠅帽子峠”を越え越前に入り大野をかすめて敦賀で降伏。 

敦賀のニシン小屋に幽閉された彼らは結局幕府の決定で全員死刑を言い渡される。

1865年2月4日から2月23日までに353人と言う斬首刑が行われた。

このような短期間に大量の斬首刑はいまだかって無い事であった。

幕末の幕府の判断はまともでは無い。 

かって武田耕雲斉は慶喜を敬愛する仲であったのにその慶喜は、ただ自己保身の為にこれらの貴重な命を見捨ててしまった。 最後の将軍、徳川慶喜とはそんな人間であった。

2年後に大政奉還が行われたからわずかに早すぎた彼らの行動は、しかし維新の先駆けとなった事は間違い無い。

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