東別院 090409
K教授が東別院に家を建てる前にやった事は居間の大きな一枚ガラスと同じサイズの木枠を作って家のロケーションを行って場所を決めたのです。 居間から見えるのは田圃だけで家を一切見たく無い為です。
当初見た田圃は区画整理する前で非常に美しく印象的でしたが、今はこんなに整理され全く面白味の無い風景になってしまった。 でも居間からは田圃しか見えない状況は今も継続しています。
それほど拘っていた居間は今、本に占拠されてしまった。
奥さんは、その本の移動と教授が退院したら一番好きなこの居間にベッドを持ち込みそこで暮らせるように別に書院を建設中であった。
教授はこの盆前に入院し盆明けに他界してしまった。
肺ガンだったようです。 合掌。
K教授は笑い学(人間はなぜ笑うのか)を研究していた。 笑うのに何故か教授は鋭い眼光と言葉を持っていた。 横隔膜の振動を利用して笑い測定機をつくりその笑いの単位をアッハ=aHとしたそうです。 その“aH”プロジェクト宣言を発して他界してしまいました。
娘の音楽教室で知り合った教授一家と娘同士の気が合ったのをきっかけで、娘がまだ小学校の頃か、招かれて東別院に行った。
教授は直径1m、高さ1.2m位の竹籠を背負いキノコ摂りに誘ってくれた。
沢山採れてこの居間の床全面にブチマケ確実に安全で知っているキノコを分別し、残りのキノコをキノコ辞典2冊の写真を見比べて仕分けした。
アミタケは塩湯でしてビンに入れ、冷蔵庫に入れると何時までも持つ。
食べる時は塩抜きをして大根おろしで旨く食べた。
もう20年以上前の記憶が蘇る。
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