« August 2009 | Main | October 2009 »

September 2009

September 29, 2009

赤子谷 092709

六甲裏側の東端に赤子谷がある。

27日はその沢を詰める計画があり参加した。

先週に続きJR生瀬駅を今度は下車駅に使う。

山沿いの綺麗な水の流れる用水路沿いに気持ちの良い歩きができます。

赤子谷に入るとすぐに左と右谷の出会いに着く。

左谷を登る。

小さな堰堤滝や大滝を過ぎると大きなゴルシェに出会う。

かなり大きい。

Photo

Photo_2 Photo_3

4-50mの高さの両岸壁が幅3m位に迫る。

雨の日には絶対に入りたくない場所です。

沢はやがて涸れ沢となり東縦走路の鉄塔下に出る。

沢の規模、深さ等は小さなこの赤子谷、でも沢登りの要素を持っており、特に山復帰の著に着いた私には丁度よかった。

沢に入ると何時ものように、水、空気、匂い、それら全てを抱合した気が私を包んでくれる。 その気は私の体に沁みこみ、体を癒してくれる。

Photo_4

帰りは、いままで東縦走路を何十回と歩いたが今回初めて、岩倉山(488.4m)と行者山(415m)に登れた。

| | Comments (0)

September 26, 2009

廃線跡地 091909

宝塚の北、JR生瀬駅から車道沿いに20分程歩いて武庫川の土手に下りる。

そこからJR武田尾まで、旧福知山線の廃線跡地が残っておりハイキングルートになっています。 ただ正式なルートでは無くJR西日本も気を使って注意の看板を其処ここに設置してある。

歩くには平らで非常に変化に富んだ渓谷美が見えます。

トンネルが3-4ヵ所あり、そのうち1つは途中湾曲しているので懐中電灯が必要です。

武田尾に向けて武庫川が曲がるころ、右に上がって行くと“さくら守”の公園があります。

私たちマイスターはこの日、植物観察で武田尾に集合して逆方向に歩きました。

気楽に気持の良い歩きが出来るコースです。

Photo Photo_2             Photo_3             Photo_4

| | Comments (0)

September 17, 2009

液晶寿命 091709

液晶腕時計に寿命が有る事を知り丁度買い替え時期にきていた地デジ用液晶テレビの寿命が気になった。

殆どは60,000時間と表示している。 寿命としては5-6年か?

でも10年は持ちますよとも言われています。 しかし何処のメーカーも10年持ちますとハッキリは言わないし、ましてや書いてない。

今までのブラウン管テレビは、なんとなく、当然10年は使えると思っていた。

テレビ=10年以上。

それが液晶テレビは確実では無いのか。

いままでのTVは30インチ。

今度は液晶の40インチ位を考え、フルハイビジョン=207万画素で20万円前後を考えていた。 だが、液晶の画面寿命を考えると20万円は高すぎる。

丁度、32インチのフルハイビジョン207万画素とハイビジョン110万画素が並んで写っていた。 見た目には殆ど変わらない。 多分、画素数207万は画面が50インチやそれ以上になった時に効果があるが32インチ位ではあまり変わらないと見た。

結果、32インチの89,000円位のやつに決めました。

Photo

地デジの問題:

いままでのBS用アンテナでOKと思っていたが2チャンネルしか地デジが入らない。

仕方なく、屋内用のアンテナ、4,500円を購入して自分で設置。

見事に地デジチャンネルの設定ができました。

私の処は電波事情が良いのです。 しかし場所によっては受信の難しい問題がありそうです。

結論:

改めて、なぜ従来のアナログではダメなのだろう?

| | Comments (0)

September 11, 2009

農楽舎 9月5,6日の合宿

ここの体験プランで稲刈りを初めて体験した。

当然シニアの年代では無理がありますが鎌で刈り藁で括ります。

それを稲架棚に放り上げるまで。

私にはこの作業は無理です。 腰が痛くなりました。

この夜、久し振りに焚いたファイヤーは大きく燃え上がり皆さんで声を合わせて歌いました。

Photo Photo_2

翌朝は美浜に移動して地引網体験。

最初の2回の引きでは、網が漁礁に掛かりびくともしない。

まじめなシニアのグループはなんとか引こうとしたからこの2回でエネルギーを殆ど使いました。  3回目で漸く引けました。 小さなアジが沢山獲れ自宅に持ち帰った人はテンプラや南蛮漬けで美味しかったようです。

地引の後は調理体験。

私のグループは長さ40-50cmのハマチとイカのつくりを実習。 頭切りから3枚におろし、皮をとって刺身包丁で切るまで。

先生の包丁使いの見本を見て自分で出来ると思いましたが実際やって見ると中々難しく最後に残った刺身部は多分1/10位かなー

成果は写真を!

味は良かったですよ。

Sany0302 Photo_3

最後は小浜から鯖街道を南東に入った処に、名水百選の“瓜割り滝”に寄った。

境内には沢山の水が流れて何処でも飲めます。 一番多いのは到着駐車場横にある蛇口6ヵ所で沢山の人が水を飲みそして、何十本のプラスチックボトルを持った人、コンテナを持った人達が水を汲んでいます。 大阪や京都ナンバーの車も目につきました。

Photo_4

| | Comments (0)

September 10, 2009

東別院 090409

K教授が東別院に家を建てる前にやった事は居間の大きな一枚ガラスと同じサイズの木枠を作って家のロケーションを行って場所を決めたのです。 居間から見えるのは田圃だけで家を一切見たく無い為です。

当初見た田圃は区画整理する前で非常に美しく印象的でしたが、今はこんなに整理され全く面白味の無い風景になってしまった。 でも居間からは田圃しか見えない状況は今も継続しています。

Photo_2

Photo

それほど拘っていた居間は今、本に占拠されてしまった。

奥さんは、その本の移動と教授が退院したら一番好きなこの居間にベッドを持ち込みそこで暮らせるように別に書院を建設中であった。

教授はこの盆前に入院し盆明けに他界してしまった。

肺ガンだったようです。 合掌。

K教授は笑い学(人間はなぜ笑うのか)を研究していた。 笑うのに何故か教授は鋭い眼光と言葉を持っていた。 横隔膜の振動を利用して笑い測定機をつくりその笑いの単位をアッハ=aHとしたそうです。 その“aH”プロジェクト宣言を発して他界してしまいました。  

娘の音楽教室で知り合った教授一家と娘同士の気が合ったのをきっかけで、娘がまだ小学校の頃か、招かれて東別院に行った。

教授は直径1m、高さ1.2m位の竹籠を背負いキノコ摂りに誘ってくれた。

沢山採れてこの居間の床全面にブチマケ確実に安全で知っているキノコを分別し、残りのキノコをキノコ辞典2冊の写真を見比べて仕分けした。

アミタケは塩湯でしてビンに入れ、冷蔵庫に入れると何時までも持つ。

食べる時は塩抜きをして大根おろしで旨く食べた。

もう20年以上前の記憶が蘇る。

| | Comments (0)

September 01, 2009

六甲山カフェ 再び 083109

昨日、テスト山行で風吹き岩まで往復して帰りに六甲山カフェに立ち寄りました。

テスト山行等と格好つけましたが風吹き岩でギブアップという事です。

4ヵ月間山に行けなかった付けで山用の筋肉が無くなっているのです。

さて、カフェは、確か昨年会った人を含み4人の女性が居り華やかです。

今日は“登り用のコーヒー”を注文。

自分で豆を選び特別にローストしている拘りのコーヒーです。

香りの良いコーヒーでした。

さて、無花果ケーキを勧められ、ん? 無花果? 頼みました。

ロールケーキで中のクリームに包まれ無花果がそのまま入っている。

無花果そのものが個体に依って味のばらつきが大きいから難しいと思うが食べたケーキはその生の無花果とクリームの味、甘み、のバランスが良く、記憶に残る味となりました。

洞窟の棚にはワインがかなり並んでいる。 一杯位は飲みたくなる。

しかしこの汗だくの身なりでワインは飲めないよ、と言うと皆さん着替えて飲まれますと言う。 

でも汗臭さまで拭えない。 もう、30数年前から始まったヨーロッパ出張で身についた自分流のワインを飲む時の雰囲気がある。

その辺のこだわりが減り飲みたい欲望が強くなる時が来るか?

| | Comments (2)

山歩き 083009

山に行きたい。

少し遅い時間ではあるが投票を済ませて芦屋川へ。

土手を歩いて筋肉をつけて来たが山の筋肉は違う。

駅から高座の滝まで約30分。かなり消耗した。

ここで休憩15分、長すぎるなー

茶屋のお兄ちゃんとはなし、退職した事をしる。

かれのお姉さんも親から継いだこの茶屋を絶やしたくないので、洞窟を若い女性達が運営する“六甲カフェ”に貸している。

2回目の六甲カフェに挨拶し帰りに寄ると約束。

普通、ここから登ると、ここには帰ってこないが今日は多分、風吹き岩までだなーと予想を立てている。

案の定、ロックガーデンの登りはきつく風吹き岩が限度と判断。

私が山登りを本格的に始動したのはここであるから、4ヵ月のブランクを取り戻すには格好の場所。

暫くはここに何回も来て体調を整えよう。

高座の滝に戻ってハッキリ山登り用の筋肉が無くなって居ることが確認出来た。

Photo_3 

| | Comments (0)

近松門左衛門

近松は大阪を代表する文化人と思っていました。

この23日に、尼崎の近松記念館を仲間と一緒に見学。

丁度、語り部の会の人が居り説明をして頂いた。

尼崎という場所は大阪と神戸、西宮等に挟まれ、ほぼ埋没してしまうような位置にある。

その尼崎が知名度を上げるべく近松に注目してこの記念館の基礎をつくったようです。

近松は1650年頃に福井の吉江藩士の子として生まれるも、都に出て、52歳の時に大阪に来たようです。 そして浄瑠璃作家となりあの曽根崎心中は初めて庶民を主人公とした物語で難波の庶民に大受けしたようです。

近松62歳頃に尼崎の廣済寺再興に尽くしたそうで、寺の裏には近松部屋が設けられ、この部屋で幾多の名作が書かれたのではないかと言われています。

その頃の文書や文机などを展示しています。

Photo Photo_2

一方、大阪。

お墓はガソリンスタンドの裏に小さく窮屈に押し込められています。

大きな違いは大阪には近松記念館のような物が無いですね。

その内に、近松と言えば“尼崎”になる事でしょう。

田中康夫さんが当選したから彼ならきっと近松を取り上げ尼崎を売り出すような気がします。

| | Comments (2)

« August 2009 | Main | October 2009 »