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February 2009

February 24, 2009

堺歩き P2

昼食後、市街地を歩き南宋寺へ。

市街地の中にあるのに、この寺の境内は非常に大きくそして静寂さえ感じる。

私の興味は徳川家康の墓を見る事である。

この寺には千家一門の墓や寺を作った三好長慶一族の墓など歴史上の人物の墓があり素晴らしい方丈がある。

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しかし私が見たかったのは徳川家康の墓。

座雲亭の説明には夏の陣(1615年5月)の時、後藤又兵衛の槍で損傷して此処で葬られたと書いてある。

一方、真田雪村に押し込まれ駕籠で逃げる途中に後藤又兵衛の槍で損傷してここに葬られたと言う説もある。

記録では家康は1616年411日に駿府城で亡くなっている。

歴史の真実は誰も知らないから、そこに何が隠されているのか解りません。

ここで葬られた家康は、そのご約1年、影武者が演じた家康ですね。

いずれにしても私はこのようなミステリーが大好きでここで家康の墓を見れた事はは幸いでした。

さて、堺歩きの最後は当然ながら仁徳天皇陵でがここは正面を見るしか無いのです。 驚きましたが最近は仁徳天皇陵とは言わず、地名の“大仙稜古墳”というようです。 宮内省は頑なにこの稜の学術調査等一切拒んでいるようです。

調査をすると、一般に言われている歴史がひっくりかえる事を恐れているのでしょう。

堺には歴史が一杯あります。

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February 17, 2009

堺歩き P1

堺在住の会員が計画をして、起点JR天王寺駅に集合し、阪堺線で大和川を渡ると堺市となります。                         大阪に住んで30数年、まともに堺という町を歩いた事が無いので期待で一杯。鉄砲鍛冶屋敷の前を通って刃物問屋に着き、そこで堺の鍛冶屋は仁徳天皇稜の工事に使う鉄製道具の修理に鍛冶屋が必要であった、つまりその頃からの歴史があると聞いた。 私はここで前から欲しかった小さな切り出しナイフを見つけて購入。

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そして堺事件の土佐11烈士! これは別稿で書きます。

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千利休は堺の人である。 その屋敷はしかし井戸しか残っていません。 堺は産業の発展のみに力を入れ、歴史や文化を疎かにしてきた事がはっきり解る。井戸の表側の“竹満”というセイロ蕎麦屋で昼食を食べる。 昔、大阪の桜橋の新サンケイビルに有った会社に勤務していた頃、ビルの横に“竹満”があり昼飯を良くそこで食べた。 この店のマッチに本店堺と書いてあったので、その事を聞くと“いえ、そこは全く関係ない所です”と説明された。 早速出てきたセイロの蕎麦は、まーこんな物かと思った。 ところが蕎麦の乗った竹すのこを上げて吃驚、セイロに底が有る。 底は板で閉じられている! 帰り掛けに調理場を覗くと蕎麦は熱湯で茹で上げた物を竹すのこに乗せている。私の記憶で大阪の竹満は湯気で蒸して本当のセイロに乗っかって出てきた。 こころなし味も大阪のほうが良かったなー。

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February 11, 2009

舞州(まいしま)工場

舞州(まいしま)工場

もう十数年前にこの工場の奇抜な外観を見た時は、本当にどぎもを抜かれた。

そしてそれがゴミ焼却工場ときいて更に吃驚。

それ以来、あの中では何をしているか見たかった。

その機会が2月7日。

説明:

工場の外観デザイナーはオーストリアのFriedensreich Hundertwasser氏。

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理由:

何処でもゴミ処理は必要不可欠な設備だが、いざ自分の住居の近くに建設となると皆反対する。  だから今までの悪いイメージを払拭する為に外観を全く異質なデザインとした。

工場見学:

24時間稼動が出来るかなり自動化されたシステム。 

*焼却は最初にゴミを投入した時の火付けに燃料が必要であるが後はゴミ自体が燃料となる。  焼却温度は850-900度でダイオキシンも分解する。 煤塵に含まれるダイオキシンも脱塩素化装置で分解。 脱硝反応で窒素酸化物も除去。

発生熱で蒸気を作り蒸気タービンで発電し関電に売電している。

かなり効率化され排出ガスは洗浄されて煙突からでる。

関心したのは、ごみピットやクレーン等肝心な部分の保守、メンテを工場のスタッフがやっている事。 これは是非続けて欲しい。

この工場から出るときは、私の納めた市民税はこの工場に関しては旨く使っている感触を得た。

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February 09, 2009

冬の旅 P5 生野銀山

生野銀山は織田信長が奉行を置き、以後豊臣、徳川と直領として稼動し明治元年には政府 

が鉱山司を設け明治29年に三菱合資に払い下げ昭和48年に閉山となる。

長い間、日本の銀、鉱物生産の背骨を背負ってきました。

当初は地上に露出している鉱脈沿いに掘っていた。 その後が残っています。

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やがて地上分が無くなると鉱脈沿いに地下に潜り坑道が堀巡らされる。

最終的には、最深部は地上から880mの深さで、海水面下513mにもなったと言うから吃驚です。

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February 04, 2009

冬の旅 P4 冒険者:植村直己

朝、宿を出て先ず植村直己冒険館へ。

入り口は幅の狭い廊下を下におりる。

クレパスをイメージして設計したと言う。

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私の大好きな冒険者である。 漸く訪れることが出来た。

数々の遺品、旅の道具を興味深く見た。

細い曲がった骨(長さ25cm位)に太い糸を縛り付けた物は何か、係員に聞いたが調べますといったが答えは無し。

もう一つ質問したが、これも回答無し。

事務員だけで、質問に答える人は居ないようだ。

記録では植村さんは1984年2月12日、マッキンレーに冬季単独登頂に成功した後で行方不明。

私は1984年1月8日に大阪空港を立ち、アンカレッジ経由でヨーロッパ出張し、帰りの飛行機で機長が“今日はマッキンレーが良く見える”の案内で窓から外を見ると、白い大きな山塊が青空の下、綺麗に見えた。

植村さんが見えないかなーと思って見ていたから、まだ訃報の前、2月初め頃だと思う。

冒険館に入って最初、映画で彼の生涯を紹介。

北極点を目指した動画の中で、“おれは何の為に此処にいるのだろう”とつぶやいていた。

帰りのバスの中で考えた。

周りからは、何時も“今度はどんな冒険をするのだろう”と期待され、更なる過激な冒険をしなくては、と思うようになっていったのかなーと感じた。

過去の栄光ある成功の為に自分でもどうしようもない状況にであったのかなーと感じた。

彼は、何を目指していたのだろうか?

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February 02, 2009

冬の旅 P3 雪の朝

前日、コウノトリの郷公園と玄武洞を見て、この宿に入った。

この宿は円山川を挟み対岸にある。

雪の朝。

朝日が射して雪が輝く。

駐車場から車道へ僅かに傾斜しているが凍っている路面を滑らないようにユックリ歩く。

全面が凍っている。

雪の朝は幻想的な光景を見せてくれます。

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February 01, 2009

冬の旅 P2 玄武洞

この地方でも多めの雪に観光客も少ないから車道から洞へ上がる石段は雪に覆われ、雪を掻き分けるように歩く。

最初は青朱雀洞、そして玄武洞への道も雪を掻き分ける。

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山崎先生は大阪教育大学の名誉教授で冬の旅に同行頂いている。 

その先生が、「1920年代に京大の松山という先生が玄武洞の岩石から残留磁力を測定すると南北が逆転しておりそれを元に1929年に地球磁場の反転説を世界で最初に発表された」と言う説明を聞いた。

つまり、玄武洞の岩石に記憶されている磁場は現在の磁場、N極の北極とS極の南極の磁場が逆転していた時代が有った証拠なのである。

つまり、今の南極が北極で、今の北極が南極である。

なぜ、このような逆転が起こったのかは未だに解らない。

また、この逆転現象は再度起こる可能性もあるという。 そして逆転の途中でヴァン・アレン帯の弱い部分も動き、その部分から太陽光の有害放射線が地上に届くことが考えられると言う事である。

逆転が起こると!

南が北で、北が南?

どうなる事かねー。

磁気材を使う記憶装置は?

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