さよなら眼鏡
もう20年以上前に購入した近眼眼鏡に感謝を込めてサヨナラ!
イタリア製の枠に日本製の偏光ガラスで紫外線を受けると黒っぽく変色する。
仕事に遊びによく使った。
最初の異変:
13年程まえ、ドイツ出張中、オスナブルッケのホテルのバーで飲んでいる時に左側のツルがポトリと落ちた。 ツル先端の凸部が折れて、折れた凸部分は眼鏡側のヒンジ部に残っている。
この出張ではスペアーの眼鏡を持って来なかったから困る。 最も眼鏡が無くとも仕事も旅の継続出来るが有ったほうが楽ではある。
ホテルのフロントで眼鏡屋の場所を聞くと幸いにも直ぐそばにある。
翌朝、土曜日、8時過ぎにその眼鏡屋に飛び込み、ツルの代えがあるか聞くと、“これと同じイタリア製のは無いが”そういって箱に入った多数のツルを見せ、多分これならサイズと色が合うと言うのを付けてもらった。
10マルク(千円位)支払って感謝して店を出た。
第二の異変:8年前。
氷ノ山の若狭側中腹のコテージで宿泊し、翌日、氷ノ山に登った。
帰路途中の渓流で水を口に含み旨いのを確かめて飲み、眼鏡を外して横の草の上に置き、何時ものように水を両手で汲んで頭から水をかけているとグシャっとイヤな音がした。 後から来たKさんの靴に踏まれたのだ!
幸いレンズはOKだが眼鏡枠のヒンジ部取り付け部でツルが曲がり45度ほど上を向いている。 とりあえずそのまま胸ポケットに治めて下山した。
休憩時に曲がり具合を良く見て、それに沿ってツル(ドイツで付け替えてもらった物)をユックリと曲げ元の位置に戻す。
第三の異変:8年前。
それで眼鏡を再び使える状態に戻したがほぼ一ヶ月でツルの付け根が折れた。
デパート2箇所、有名眼鏡店2箇所、ツルの交換を頼んだがメーカーから部品を取り寄せる、と言う返事で、どこも片方だけのツルの交換は出来ません。
そこで気がついた事は、今の眼鏡屋はその場で対処出来る職人、技術者を置いていないのだ。 ドイツは流石だなーと思う。あの店は“片方”のツルを一杯持っていた。 眼鏡の一番弱い所はどこに有るか良く知っており、直ぐに客の要望に対応できる。 私は日本の眼鏡屋もてっきりそうだと思っていたが、甘かったね。
よし、では自分でやろう、と決心。
殆ど使っていないプラスチックレンズの眼鏡のツルを使おう。
ただこのツルの凸が若干薄くヒンジに組み合わせネジで締めてもツルが動く。
日本橋で直径2mm位のワッシャーとヒンジに合うネジを購入。
ツルの凸部とヒンジの組み合わせ部にワッシャーを3枚入れ新しいネジで締めると、眼鏡が復活した。 まー、枠とツルは色も太さも違うからアンバランスではあるが実用にはかまわない、特に山で多用するから。
第四の異変:3年前。
今度はヒンジ部の上部が破損!
だからネジは使えないので、針金を切ってネジ孔に通し、万力でヒンジ部を固定して、上から針金の上部をポンチで打ち頭を作ってヤスリで形を整える。
不細工だが、山では使った。
しかし、これも折れた。 今年の初め頃である。
これで終いと思ったが、商店街に年1-2回、福井の眼鏡屋が出張して4-5日店を出す。 そこに眼鏡を持参してせめてレンズだけでも使いたい、と言うと、その職人は私の今までの努力を聞いて、枠を買ってくれたらやります。
5千円と1万円、の中から1万円の枠をえらんだ。
夕方、取りにゆくと、復活した眼鏡が出来上がっていた。
嬉しかったね。
最終異変:平成19年10月11日
友達と居酒屋へ行った。 そこの静かなオーナーは酒のエキスパートで多数のコレクションの中から良い酒を紹介してくれる。 健康のために普段は酒を避け焼酎を飲んでいるのだが、調子に乗って飲んだ。 話しが弾み旨い酒。
店を出ると足元が振れる。
友達がラーメン食べたいと。 私も同じ事を考えていたので、昔、飲んだ後に時々行った店に行って昔のおっちゃんの旨いラーメンを食べた。
その時、眼鏡が無いのに気付き体中さがし小カバンの中も探したが無い。
居酒屋に忘れたんだと勝手に判断。
そして昨日の夕方、居酒屋に行ってたずねたが、無い。
まさか、とは思ったがラーメン屋にゆき、おっちゃんに尋ねると、“あったで。 だけど踏まれてガラス割れとる” おっちゃんはビニールの袋に入れた眼鏡を渡しながら、“夕べ、もっと良く探したらこんな事にならんかったと、ちゃうんかな”その通り。 でも袋に入れてちゃんと保管してくれてアリガト、おっちゃん。
これは二十数年に亘り、私の目を補佐してくれた大切な眼鏡への追悼文です。
一応、技術者である私は使っている物に執着があり自分で出来そうな物は出来るだけ修理をする。 これは今の世の中の流れとは大違い。
でも失敗もある。
* キャノネットと言う自分で買った最初のカメラ、不調になって自分で分解したが組み立て直す事ができなかった。
* スイス製の非常に小さなメカ駆動の携帯目覚まし時計も元に戻す事ができなかった。
* 等など
特にこの眼鏡には愛着があったのです。
まー、一種の変人なのでしょう。
この眼鏡、まだ置いておくよ。
なぜ?
左目が失明したとき使うから。
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Comments
眼鏡に歴史有り ですね。
これだけ丁寧に使ってくれて眼鏡も本望でしょう。
少々値段がはっても 気に入ったものを買っておくと、大事にしようと云う気になりますね。
修理して使い続けたくなります。
私もドイツのマイスター制度は素晴らしいと思っていましたが、やはり・・・ですね。
日本でもこうあるべきだと思うのですが・・・。
役目を終えためがねさん もう出番は無いと思いますが、shimaさんのお手元においておかれるのですね、良かった。
Posted by: zucca | October 17, 2007 10:45 PM
zuccaさん
ちょっと長い追悼文を読んで頂きありがとう御座います。
20数年に亘り付き合って、助けてくれた物には愛着があります。 多分、少し前の日本人は皆持っていた感情ですね。 工業製品は電子化により昔は考えられなかった機能が付与されましたが、最初の設計段階から”修理”は考ずに不具合が起こった場合はそのパーツの取替えで機能を復活させています。 しかし、基本的に何も変わっていない眼鏡までも、眼鏡屋には最早修理する機能が無くなってしまいました。 私は古いタイプの人間なので未だに捨て切れず、これからも変わらないと思います。
先日のデジカメもメーカーから持ち帰り、時々取り出してイジルと短時間ですが機能が復活する時もあり、捨てられません。
Posted by: shima | October 18, 2007 08:48 AM
shima様、眼鏡はきっと本望でしょう。長く長く
愛用されましたから。わたしも世話になった物は
どうしても廃棄できません。万年筆、カメラ、
ワープロ、眼鏡など、使えないのを仕舞っています。
おまけに時々探し物ついでに出して活用時のことを
思い出したり・・。
「さよなら眼鏡」心に沁み入るお話です。
Posted by: nekozizou | October 23, 2007 03:13 PM
nekozizouさん
身の回りの物は使えば使うほど愛着が出てきます。
多分、誰でも持っていた感情ですよね。
時代遅れの人間といわれてもかまわない、と思っています。
Posted by: shima | October 23, 2007 08:58 PM