1984年の春頃に
当時、スイスのメーカーL社の日本子会社を閉鎖するに当たり商権と従業員を引き取るようにとスイスのオーナーから当時の私の上司に要請があった。
もともと私が働いていた会社がL社の代理店であったのに、L社の意向で独立した日本小会社である。 感情的には許せない。
しかし、オーナーの意向に逆らえず受け入れる。
夏前か、従業員が私達の部門に配属され独自の課を構成した。
その中に、Iが居た。
暫くしてIの能力に注目しはじめた。
よく、一緒に飲みにもいった。
そして彼の能力を欲しいと思った。
4-5年を経て混在組織となり殆ど部内に一体化された。
彼はその頃、上司との葛藤に悩み、時に上司忌避を訴えた。
禁じ手である。
出来たら私のグループに入れたいと思っていた私は、その為に組織改革の度に、だれにも、本人にも解らないように働き結局私のグループに入れた。
独立してオランダの会社の日本法人設立し、私がそこを辞める時に彼を後継社長に指名した。
2年前に彼は頭部切開手術をし、そして2年後の今、7月15日の朝、他界してしまった。
この春の、も一人に続いてである。
2人共若すぎる。
彼の祭壇には熊野古道の本が飾られていた。
彼は八軒屋跡から始まる古道を一人で歩き堺近くまで達していたと思う。
やがては奥掛を考えていた。
私が奥掛をする時は必ず彼を熊野の先の西方浄土に送り出そう。
台風(かぜ)が去り 蝉声盛り 君が去る
千の風になって自由に流れて星になれ
(私のイラスト星空は度々登場)
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