神の火
神の火
10年程前か、最初に高村薫の本を読んだのが「マークスの山」そしてこの「神の火」をよんでこの作家が今までの日本の小説家とは違い、資料を良く調べ話を緻密に組み立て海外の小説家のようである事がわかった。
今回、大飯原発の構内をバスで回った時に「神の火」に出てくるのは音無原発だが実際は大飯原発では無かったのかなーと感じたので帰宅して「神の火」を拾い読みしたが確認出来ず。
しかし、関電の社員が説明した放射能レベルについて高村は原子炉を攻撃する主人公に下記のように説明させている。
「ところでなあ、浩二。原子炉の蓋やが、開けても中は見られへん、いうのはなんでや」
「原子炉は止まっても、蓋を開けることは前提にしていないから、開けても安全な程度までは、ほう酸水の濃度を上げていない。要するに俺たちは、空けてはならない状態で、強引に開けるということだ」
「放射能が漏れるんか」
「ああ、だからロボットがやるんだ」
「人間が近づいたら死ぬ?」
「いいか、草介。人が死ぬような放射線といえば、三千から四千ミリシーベルト以上だ。そんなものすごい量の放射能を一度に浴びれるのは、チェルノブイリのように炉心が融けて剥き出しになる事故か、核爆弾しか考えられない。だからこんなふうに考えてほしい。
人が健康に生きていくための許容被爆線量は、年間五ミリシーベルト。胃のレントゲン検査一回で約4ミリシーベルト。 原発から出る放射線量は、年間〇.〇五ミリシーベルト以下。 それよりは確実に多い。 人によっては身体に影響が出るかも知れない。 危険だというのは、そういう意味だ」
「そうなるとあのチェルノブイリというのは、ものすごい事故やったんやな、、」
「そういうことだ」
一度誰かがこの小説のように原発、或いは火力発電所、等の重要施設を攻撃しようと計画すれば殆ど実現可能ではないかと思われる。
つまり、防御する側の思考が固定的に対し、攻撃する側はあらゆる可能性の中から手段を選べる選択肢があるからである。
北朝鮮、ロシア、CIAと日本の防諜機関、更に政治情勢が複雑にからまるこの小説は意外と今の日本の情勢と合っているので、一度皆さんも時間が有ったら読んでみて下さい。
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