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October 18, 2006

夕陽丘

私が大阪に住み始めた頃に、夕陽丘という地名が有る事を知りましたが、キザな名前、と思っただけでした。 

3年程前に、山の会で大阪の熊野古道を歩く企画をし、初めて夕陽丘を調べ、地名が平安時代、藤原家降という人がこの地名発祥に拘わった古い地名と知り驚きました。

10月8日、重陽の宴のおり、一心寺の高口長老による藤原家降についての講演があり、下記のような御話を聞きました。

家降は新古今和歌集編者の藤原定家の4歳年上の従兄弟で有るが、定家が官位を上げて出世して行くのに家降はなかなか出世が出来なかった。

定家も気に掛けながら家降に古今和歌集編纂の手伝いをたのんで居たようです。

しかし、定家は書でも詩論でも名を上げており家降には年下の従兄弟に対するやっかみ感情が鬱積していたのでは無いか。

そして79歳の時に出家しブッショウ(仏性)と名乗り京から、大阪の、夕陽庵(せきようあん)現夕陽丘に移り棲み、しかしそれから約百日後の4月9日に往生したと言う事です。

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当時、極楽浄土のある西に向かって念仏をとなえる「日想観」がブームであったようですが、四天王寺の西門は極楽浄土の東門に通じるといわれ、特に御彼岸には、夕陽が丁度、

須磨と淡路島の間に沈むその光が四天王寺の西門から本堂と五重塔の間を通るといわれ、

非常に有り難い事と、人々が競って集まったといわれています。

このような所で家降も熱心に夕陽に祈り、そして漸く定家の縛りから解け、定家の手が届かない高みに達したと思ったのでは無いか。

大阪の上町台地にある夕陽丘は今ではとても想像が出来ない位、見事な夕陽の名所であったようです。

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Comments

重陽の宴を、一心寺と聞いた時一番聞きたかった、長老の話が聞けなくて残念な思いをしました。
秋の入日をあの丘で、拝みたかったですよ。

処は変わって、15日六甲縦走西半分、山頂からの夕暮れは疲れた体を和ませてくれました。街の灯りも。

Posted by: yamanoko.kei | October 18, 2006 05:56 PM

keiさん
どうして来れなかったのかな。
22日、大阪城の太陽の広場に来れませんか?

Posted by: shima | October 19, 2006 10:11 PM

あの日は天生峠。悪天候のため、籾糠山は断念しました。

22日は何が、あるの? でも、聞かない方がいいかも。
この日は、ご無沙汰している兄弟の付き合いが入っていますので。

Posted by: yamanoko.kei | October 20, 2006 06:01 AM

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