江田島
4月1日、かなり昔からここに来たかったが漸く実現した。
門には海上自衛隊第一術科学校、幹部候補生学校と書いてある。
守衛所を入り案内人が殆ど同じ船できたグループを引き連れ構内を案内する。
海軍兵学校は1888年(明治21年)に築地からこの江田島に移転して来たそうです。
構内は綺麗に手入れされており気持ちの良い印象を得ました。
最初は大講堂に案内され1917年に御影石で出来た重厚な建物で数日後におこなわれる卒業式の準備が整っている。
幹部候補生学校の赤レンガは明治期に英国から輸入された物でいまでも鮮やかな赤を見せてくれる。 手入れが良く出来ているのだな。
学校の前に植えられている黒松は真っ直ぐ上の伸びている。 この学校の精神はなんでも真っ直ぐにと。
今回一番印象に残ったのは教育参考館の展示物である。
階段を上がった正面には東郷元帥の遺髪が納められいる。
展示の日清、日露戦争の資料や特に戦争の模様を書いた絵に興味がある。
昔、家にあった絵本で記憶にある決死で旅順港閉塞後、短艇で引き上げて来た模様や蔚山沖海戦、日本海海戦の模様を書いた絵には非常に親近感がある。
そして数々の死に行く若人の遺書は時間があればじっくり読みたい。
ここを出てきて私はこう思った。
敗戦後、朝鮮戦争が始まり、日本に軍備をさせないと決めたアメリカの要請で軍備をはじめた(所謂、再軍備)から海上自衛隊も当初はすべて米軍流の装備、技術、指導方、を行ったはずである。
しかし、海上自衛隊は、東郷元帥を日本海軍の始祖と崇めておるように感じ、そして、いつの間にか旧海軍の精神を引継いでいるのではないのだろうか。
ここで勉学に励む幹部候補生が身近にある教育参考館の展示物を見れば当然その影響は大きく受けるであろう。
そうであれば、私の願いは、その精神は明治期の東郷元帥時代の精神であって、
後年の大和を作ったような精神で無い事を望む。
私自身は軍国主義者でも右翼でもありません。
ただ、自分の国は自分で守る事を当然と思っており、候補生の行進を見て胸が熱くなりました。
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