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March 20, 2006

見テ知リソ

自然大学はこの講義を以って最後となります。

去年4月、最初に自然に対する見方、考え方を教えて戴いた菅井先生である。

(カテゴリ“自然”412日2005年、“花見と自然観察”参照)

纏めの中で先生はこの1年を振り返って

*自然の何が分かりましたか

*自己の内にどのような自然観が形成されたか

*自分の中でどのように統合され生き方に反映しているか

を、じっくり考えなさいと。  フー、考えないと!!

質疑のなかで大きな部分を占めたのは、勉強してきた自然と持続可能な社会に付いての心配が多かった。

菅井先生は、日本人の自然観を見直し大事にすべきだと言われた。

行き詰まった科学的自然観(西洋的自然観)から脱し日本という風土で日本人が捉えた自然の見方、日本的自然観で自然と一体化するようにと。

言われる事はわかる。 しかし西欧人が日本人の自然観を、もし彼らが欲っしても一般的に理解できるには100年以上もかかる。 しかし環境変化は100年も待てない。

いや、先生が言ってる事は今の自分の周りで出来る事から、日本人の自然観で対処して行けと言う事なのか?

産業活動にドップリ浸かり、日々のビジネスで磨り減った感性しか持ち合わせない我々に、本来持っているべき日本人の自然観を真剣に、早く、取り戻せ、と言ってるのかも知れない。

見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ  = 先ず見よ、 かくて知れ

先ず直感を働かせて得た物を、あとから概念で整理せよ。

直感は全てを開放するが、知識は全てを限定する。

                               柳宋悦

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自然」カテゴリの記事

Comments

shimaさん、
自然大学も最終回 終わってしまうのはさびしいですね。
私もいろいろ勉強できました。感謝です。
こういう講義 バリバリの社会人にも受けてもらうと良いかもしれませんね。
少しは 地球の事も考えてくれるようになるかしら。
TB設定 有り難うございました。

Posted by: zucca | March 22, 2006 09:43 PM

数年前にアメリカの3人の科学者によって書かれた「奪われし未来」という本を読んで、
合成化学物質、環境ホルモンのもたらす脅威に愕然としたことがあります。
余りにも地球上、日常生活に蔓延してしまったこの脅威の事実を知るにつけ、
取り返しはもうつかないのだろうと思ってしまいました。
が、人類滅亡の時期を延ばす事は、私達一人一人の努力でできるのではないか。
しかしながら、自分はそれではどのような努力をしているかと言えば、これがほんとに
情けない・・・ついつい毎日の生活に流され忘れた振りをしているのです。

本日shimaさんのブログを拝見し、改めてこのことを思い起しております。
残念ながら危機感を持っている人は周囲にほとんどいなのが現実です。
わたしも知っていながらなにもしない・・・
いけないな、と反省します。自然大学のような学習を通してひとりでも多くの人が、
そういうことに目覚めることが、環境破壊を一秒でも遅らすことになるのではないか
と希望をつないでいます。

Posted by: spacesis | March 22, 2006 10:19 PM

zuccaさん
本当に多くの知識を勉強しました。
しかし最後の数講義は聞かなければ良かったと思う程、落ち込むような内容。
まだ勉強は続きます。

Posted by: shima | March 22, 2006 11:48 PM

spacesisさん
先生の設問”勉強し体験してきた事を自分の中でいかに統合し生き方に反映するか”です。
自分の生き方に反映しないと勉強も体験も意味の無い物になってしまう。
結局自分に帰ってくるのですね。
そして私が得た物を周りの人に、伝えよと。
また、日本人だけが対策しただけではダメなのが環境問題の難しい所ですね。

Posted by: shima | March 23, 2006 12:03 AM

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