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October 2005

October 31, 2005

木を切る

11月29日は朝から雨が降る中を高槻にゆき森林に入った。

森林管理の今日は実習である。

高さ14メーターを越すヒノキを鋸で切り倒す。nokohiki

そして1メーター毎に1cm幅で輪切りにし夫々の年輪を数える事でこの木の生長履歴がわかる。

木の切り株を見て方角はわからない!

昔、そして多分今も、山で方角を見失った時に切り株を探し、年輪の間隔が広いほうが南であると教わったがあれは間違いだ、と指摘された。

この出所はアメリカの平原に生える木の話でそれを和訳した某有名大の有名教授で、以来、それがバイブルのように使われて来たのだそうです。

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October 28, 2005

水環境の汚染

水環境へ溶出した有機ケミカルと食物連鎖の関係など大切な話があったが、今日はこの講座から二つの話題を書きます。

*水中総HCH濃度を先生達は毛馬橋で継続的に調査した。 (写真)HCHnoudo

 BHCやDDT等は日本を含む先進国では1972年に使用禁止となった。

 調査のカーブで1985年頃には検出されないであろうと思っていたが依然として検出される。 これは現在、インドや中国ではDDT等を使って居るのでそれが蒸発して偏西風に乗って流れ雨となって日本に降る。 

更に、中国等から輸入された野菜類からもDDTが検出されていると言う。

つまり日本だけが使用禁止してもダメなのである。

ネットで調べた人体への蓄積関係資料:

「たとえば、数年前、世界保健機構はボルネオ島でマラリアを伝染させる蚊を絶滅するためにDDTを使用した。この化学薬品は蚊を殺したが、ゴキブリを殺しはしなかった。生き残ったゴキブリたちは体内にこの薬物を蓄積した。ゲッコと呼ばれる尾の長いトカゲがゴキブリを食べたとき、ゴキブリの体内のDDTがトカゲの神経系に異常を引き起こした。このためにトカゲたちは動きが鈍くなり、村の猫たちの餌食となった。猫たちはトカゲの体内のDDTのために死んだ。伝染病を移す恐れのあるネズミがボルネオ島の森林から入り込んできたので、ネズミを捕まえさせるために、他所から猫を村に空輸しなければならなくなった。猫たちはネズミたちの数を制御したが、人々の住む小屋の屋根は崩れ落ち始めた。以前には、トカゲが屋根のかやを食べる毛虫を食べていたのだが、そのトカゲがいまや絶えてしまったからだった。」(K.S.シュレーダー=フレチェット「農薬の毒性」加茂直樹訳;『環境の倫理』所収)」 

上村

芳郎という人が作っている個人のホームより。

なにか、“風が吹けば桶屋が儲かる”ような話です。

良い話:大豆のイソフラボン摂取量とガン等の関係:

イソフラボンは大豆に含まれて居り、大豆や加工食品のトウフ等をよく食べる中国、日本人はイソフラボンの摂取量が多く、尿での排出量も多い。 イソフラボンを摂取していると乳ガンや前立腺ガンの死亡率が低い事をしめす。つまり日本人の死亡率は特に北欧と比べると1/3から1/5です。

10万人当たりの乳ガンによる日本人の死亡率はアメリカの十分の一である!

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October 25, 2005

会運営

23日にJR須磨へ初めて降りた。 すぐ砂浜が有るのにはビックリ!

波打ち際に円座で座り若い年代の“青空の友”達の行く末に係る重大な会議を青空の下で行った。

どんな種類、年代、目的の会であってもその運営に問題の無い会など無い。

特に会員が増えれば問題も増える事は当然である。

私も会社の運営に携わり、山の会も携わり、色々の経験はしてきた。

今回、会長がこの会を作った初心に戻り積極的に運営する事になった。

全くその通りである。 自分で思う方向に自信を持って突き進んで欲しい。

私の多分人生の半分位若い会長は発想が非常にユニークで、私はそこに惚れた。

彼には何処までも着いて行く事が出来ると思っているので、全面的にバックアップする。

但し私が心しなくてはいけない事は、私の古い経験に基づいた考え方や発言は極力控え古い考え方に影響されないようにする事である。

世の中には星の数ほど山の会があるが**山岳会という会の殆どは高齢者問題を抱えている。 50-70歳台の知識と経験が豊富な古い会員が幅を利かしおり古いシキタリを踏襲しているから新しいユニークな行動が出来ない。 だから若い世代の興味が向かない事は当然である。

計画私案を作って会に提案をしてゆく。

会議が終わって早速会長発想のユニークな小運動会を行った。

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やがて須磨の海岸では太陽が傾き夕暮れ時の景色を演出してくれた。

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October 21, 2005

森林管理

講座で気になった所は:

     当初、1ヘクタールに3000本植林する。ほぼ50年を経過して最終的に700本位にする。 この間、金は出てゆくばかりで一切入らない。

     山林1ヘクタールの木を売って300万円、切った後の手入れや植樹をすると500万円掛かると言う。

     今、森林労働者は月収20万円位!

それでも日本の森林作業のコストが高く輸入木材と太刀打ちできない。

     こんな具合で、今山に金をかけても見返りが期待出来ないから政治家は森林の保全事業等には全く興味が無い。

こんな話を聞くと、森林でも絶望的になってくる:

全般的には、今、日本の二次林はほったらかしだから荒れている。間伐出来ない所はやがて木が死んで行く。 台風や大雨が降ると山崩れ、崖崩れが起こり、家や道路が寸断される。 ひょっとしたら政治家達はこのような情況を待っており、得意の土木産業が潤いそこから献金が入る。

本当は、政治が今、森林に手を入れ土砂崩れを森林の力で防げるような予防処置をすれば結果的にはコストが安くなるのではないのだろうか。

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October 18, 2005

裏剣の印象

先日、仙人池から観た裏剣の印象が焼き付いている。

写真を参考にスケッチし、スキャナーで取り込みトレースと色を差して見ると、印象に近い表現が出来た。 uratsurugi_r2

明るさの調整等で夜明け前、日が差す前の印象が表現出来た。

uratsurugi_r2_yoake

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October 17, 2005

和知は雨

和知の萱屋根ハウスに到着したのは12時半頃で昼食後、家主は早速皆を渓流に案内してベランダハウスから釣竿を持ち出し、エサも手渡した。 その頃から小雨となる。

今回私が先ずしたかった事は、渓流のベランダ、渓流の石、或いは萱ハウスの縁側に座ってコーヒーを飲みながら昼間の月を探して鑑賞する事であったが残念、次回に期待する。

この雨では無理だと思った渓流釣りのメンバーがなんと、十数匹の魚を釣り上げた!

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tsuri640 一日シェフの私は早速鴨鍋の準備に掛かる。 先ず五徳に載せる鉄鍋がかなり錆びており、そのサビ落しに時間が掛かる。 洗ったナベを五徳に載せ湯を沸かし沸騰させ、水を入れ替え再度沸騰させて漸くサビが無くなる。

鴨肉は昨日家で細かく切ってきたのであとはネギを切り、豆腐をいれるだけでいたって簡単であるが最高の味を出せる!

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皆さん堪能した後で、皆さんに「自分の取り茶碗を洗って、新たにナベの上澄みを入れ、塩と胡椒を入れておくように」言って、そこに茹で上げを冷水で洗ったソバを入れて食べると絶品の味。 シェフとしては食べ方にも拘り要求する。 先ずはその通りに食べて欲しい。 その後は皆さんがどう仕様が勝手である。

やがて酒が回り出し、採った魚を焼き、食べ、焼いた魚で骨酒を作ろうとナベに焼酎を入れ(酒が無いので)焼き魚を入れると、ナベに火が入りアルコールが全て燃えてしまい、味の飛んだ骨酒となった。moeru_arukoru640

薪が燃えて揺れる火は縄文人も同じ火を観ており、その火は脳に記憶され延々と継続されて我々の記憶となって今蘇るから、その揺れる火を見ると魅入られいつまででも火を観続ける。

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 ワインから始まりビール、焼酎、戸棚の奥から見つかったジンとトニック!

囲炉裏の周りでは話題が止め処無く湧き出し、皆が話題を次々とこなして行く。

12時を回り、午前1時を回り、多分2時頃にお開き。

16日は曇り。 昨夜(今朝か)の影響で10時に萱ハウスを出発して佐々里峠に到着し歩き出したのが12時。 峰道を歩く程に樹木の様相が変化しやがて特徴的な芦生杉の根元が太い幹の古木が見えてくる。 しかし残念ながら帰り時間が来て、大杉(15人が手を繋いで囲める)の手前でUターン。

次回への課題が又出来た。

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October 14, 2005

熱帯雨林と先住民

10月12日、今日の先生はサラワクのプナン(PENAN)人の集落で生活調査しており、その体験からの講義である。

プナンの女子供は色が白いそうで、これは熱帯雨林の陽光が当たらないところで生活しているから。1-1  

ボルネオには弓矢が無く”吹き矢”が狩猟道具である。2-2

世界の森林面積は4年で日本の国土面積同等分が減少してゆく。

熱帯材の輸入量は日本が世界の25%を占める。

プナンは狩猟採集で移動生活をしているのでサラワク州政府は土地の所有権を認めていない。 政府はこのような民族を定住させ焼畑農耕化を進め公共サービス政策を押し進める。

しかし、公共サービスを受けている集落は受けていない集落よりも果樹種の多様性が低い。

このように、狩猟採取で移動生活を送るプナンの生活圏は益々圧迫されやがては種族の滅亡になるのだろう。

大げさに言うと日本が材木をサラワクから大量に輸入する事がプナン達、先住民の生活を圧迫して、遂には先住民を滅亡させる事になる!

我々は何が出来るのだろうか?  国内の林業を復活させ多少高価でも国内木を使わなければ!

沈香の事:

プナンは昔から沈香が高価な物と知っており此れを採取して時々現金収入を得る。

先生はこれを利用して彼等の生活手段に利用出来ないだろうかと言っていた。

沈香の話を聞いてから、どうも織田信長が正倉院の香木を切り取った話と結びつき気になったので本やネットで調べると:

現に正倉院に保管されている蘭箸待(ランジャタイ)(又、黄熱香とも呼ばれている)は信長が東大寺の僧に京都に持って来させ切り取ったといわれている。 その前には足利義政が切り取り、後世には明治天皇が切り取ったといわれている。 この香木は推古3年(595年)に淡路島に流れ着いた沈香であると言われている。

沈香はチンチョウゲ科の古木が虫に食べられた傷等に樹脂を出しそれに菌が作用して黒化するようで、中でもベトナムの極限られた地域の物が最上であるようです。

ネットで調べると1グラムがなんと15,000円!

先生が現地で見た沈香の木と入手した沈香の塊(右)3-3

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October 09, 2005

森林と菌類

遷移:地上の裸地には最初にコケ等の地衣類が発生し1,2年生草本、多年生草本、そして落葉樹、常緑樹となって遷ってゆく。 この間が約800年だそうです。

10月8日の講座は奈良、壷坂山駅近くの奈良森林技術センターで行われた。

マキの木の根っ子を掘り出し顕微鏡で覗くと根粒菌がはっきり見える。(写真:丸いのが菌)konryukin

この菌は空気中の窒素を土に固定する役目をしている。 その昔、農薬等無かった頃は田畑のレンゲを植え付いた根粒菌と共に土と混ぜ合わせ肥料としたそうです!

赤松の樹皮を細かく砕きティッシュを漏斗に敷きその中に水を入れるとマツノザイセンチュウが下に落ちる。 それを顕微鏡で見た!ちょっと不味い写真ですが不気味ですね。

senchu

透明のミミズのようなセンチュウが動きまわっている。

このセンチュウはマツノマダラカミキリに付着して次の松に移り松を次々枯らしてしまう。

終わってから、せっかくのチャンスなので壷坂寺を訪問。 雨に煙る寺院。(写真)

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天竺観音はインドで作られ分割されてここに設置された。

表情はインド的に感じてしまう。(写真)

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“壷坂霊験記”お里・沢市ゆかりの寺。

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October 08, 2005

夜鳴く虫

夜鳴く虫を探して鳴く声を聴くはずであった。

所が9月5日は生憎の雨、結局教室での講座となってしまった。

虫を見る事が出来ず、虫の声も聞こえない教室では先生も講座生もとまどった。

しかし流石に先生は話を纏める。

特に印象的であったのは:

     虫の鳴き声を聴く文化は日本と中国で朝鮮半島には無いらしい。

     ラフカディオ・ハーンが江戸時代に出現した虫売りの商売を記事として取り上げている。

     戦後は街から虫売りが姿を消した。

通常、我々は虫の鳴き声を音楽のように心地良く聴くが、最早、若い世代はそうでは無くなったのかなー?

少し消化不良なのでネットで調べると下記のページで各種コウロギとキリギリスを動画でその姿と鳴き声を見せてくれる。

「人と自然の博物館」 http://hitohaku.jp/

“自然と環境の学習素材” をクリック

コンテンツ欄の“鳴く虫のすがた”をクリック

後は好み次第で

“コウロギ”をクリックして“カンタン”をクリック、そしてMedia Playerをクリックすると動画でカンタンの姿と鳴く声が聞こえます。

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October 07, 2005

バッタのオリンピック?

バッタのオリンピックって御存知ですか?

10月2日、深北公園で行われたこの出し物の名前に惹かれて講座生として参加。

*先ず、参加者はエントリー用紙を貰い名前を記入してこの用紙を無くさないよう

 注意。

*エキスパートによりバッタの見分け方や、キリギリスを採って来ても参加資格は無いのでバッタとキリギリスの見分け方を図を使って特徴を説明。

 さらにイナゴは参加資格が有る事。

 競技は各種バッタ及びイナゴの雄雌別に行う事等を説明。

     網を参加者に貸与。

     参加者にバッタが居そうな場所を指示。

batta_tori

     約40分後に全参加者が捕獲したバッタ、イナゴを持ち寄りエキスパートによって同定(種類と雌雄を確認してエントリー用紙に記入)

愈々飛翔競技が始まる。

通常のバッタとイナゴは飛翔距離を計測する。(最長距離は約8m)

トノサマバッタは飛翔時間を記録する。(最長時間は約55秒)

jyunbi

吃驚した事に全出場バッタ及びイナゴは飛翔台からちゃんと飛び出すのである。

janpu_dai

各組1,2,3位がマテバシイを塗装して作った金、銀、銅で表彰された。

非常にユニークな催し物でこのような企画を実行できる昆虫科の先輩には頭が下がる。

但し運営にはもう少し配慮が必要。

殆どが小学生とその親達で特に子供達の真剣で輝いた眼差しが印象的であった。

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October 04, 2005

剣縦走:番外編

富山県警山岳警備隊員に感謝!

剣縦走:パート2のタテバイの所で事件が有った事を書きました。

下記の文は、私のザックを取り戻してくれた富山県警山岳警備隊の方への感謝に添えて私のブログにその顛末を掲載するに際し不都合があるかどうか問い合わせをしておりました。 本日、返事を戴き特に問題無いと言う返事を戴き、掲載します。

私のザックに辿りつき戻るまでに時間があり、思わずカメラで写真を撮りました。heizoudani

ガレ場のほぼ中央に赤いザックを背負った警備隊のかたの姿が小さく見えます。

この写真ではガレ場の傾斜度がわかりませんので実際の迫力を伝える事は出来ません。

写真下部に映るのは剣沢の雪渓です。

(但し、ザックを拾ってくれた方は”元富山県警山岳警備隊員”と表示するように言われました。)

記:

それは9月24日の午前8時頃でした。

私達はタテバイに登る為にガレ場の婉曲部で行列を作って待っていました。

すでに30分も過ぎ、見る物も無くなってきたので、ふと後ろの岩盤を見ると、そこに2輪の紫色の花が咲いており、近くで見ようとザックを置いて、横に座っていた外人に声を掛け一歩踏み出した途端にザワメキが起こり、振り返るとなんと私のザックが斜面を転げて落ちてゆく!! 思わず“停まれ、ストップ”と声を出したがかまわず、回転しながら落ち続ける。 と、その時、我々の直ぐ後ろに居た一人の男性がガレ場に足を踏み入れ下りて行くではないか!

ヤメロと叫ぶ。 ザックは約7-80メーター下で停止した。

男性の足運びを見ると軽やかなステップで下って行く。 メンバーの一人が、あの人は富山県警山岳警備隊の人だと言った。

その男性は私のザックを担いで今度は、ガレ場の情況を確認しながらユックリとしかし確実に登って来る。 立ち止る事なく斜面を読みながら確実に登ってきた。

そして私にザックを渡してくれた。 途端に婉曲部で一部始終を見ていた5-60人の登山者から一斉に拍手が上がった。

私は感謝の言葉を述べるしか、し様が無かった。

そして自分の不注意さに恥ずかしい限りで穴が有ったら入りたい気持ちでした。

何故起こったか?

私なりに分析をすると、以前言われた事葉、“お前も年だから二つの事を一度にするな”

つまり、あの時、ザックを横に寝かして置いたが確実に置いた事を確認せずに、岩壁に向かって一歩を踏み出す、二つの事を同時に行った事が原因と思います。

今でも警備隊の方の落ちついたステップでガレ場を下る姿が目に焼きついており、感謝の念で一杯です。

有難う御在ました。

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October 01, 2005

剣縦走:パート4

9月26・27日

仙人池の朝:

5時半の日の出より10分程早く池の畔で裏剣と対した。日の出前の裏剣(写真)yoakemae_3

ユックリと日の出が近つく。 尖った槍の先端部にオレンジの日が当たる。(写真)youkou_1

シャッターチャンス。 でも私のデジカメは未だ使用して短時間でフレームと撮影画像の関連を掴みきっていないので、あとから見ると池に映るべき剣の先端が欠けている。残念!

でも、この千歳一遇の刻々と変わる自然の営みは、私の脳が確り画像を取り込んだ。(写真)kumo_chudan

観測機器の有る山頂に散歩気分で出かけたがタイミング悪く雲が邪魔する。 

しかし360度展望出来るこの場所は写真家の穴場のようです。

小屋の皆さんと別れ愈々仙人谷へと下降してゆく。

約2時間で仙人温泉に到着。

この温泉には何時か入りたいと思うが入ると、後、歩くのがイヤになる。

しかし温泉に入って見る景色は絶景。(写真)多分前方は唐松岳。sennin_onsen

そこに、ヒョウキン2人組みが到着。 彼女達は風呂に入ると言うので“大岩の後ろに女湯があるよ”と言うとイヤここで入りたい。(実際後で聞くと、ここで入ったそうだ)

出発して暫く、左手から大きな沢が合流する地点、少し上には雪渓の片割れが残っている。

沢を渡ると、高巻き道へ誘導される。 そして登りに入るとこれがトンデモナイ道、で行けども、行けども出口に到達出来ない水の無い急勾配の岩と石で出来た沢を漸く登り切って一服。

結局、歩行時間が約5時間で阿曾原温泉に到着。

この温泉は“高熱隊道”から出ている温泉で(写真)konetsu 古いコンクリートの浴槽で約4x7メーター位か。大自然の中へ溶け込むような温泉に浸り込み、1時間弱の男性への割り当て時間一杯を使って堪能。(写真)asohara_onsen

宿の主人の話しでは、“今日の阿曾原温泉は24名宿泊で内、男がなんと4人だけ! どうなっているんだろう!”

中高年になっても女のほうが体力も気力も強いのだー。

同宿の青年は黒四ダムから下廊下、十字峡を経て5時間でここに到着、早いー!

中年女性3人組みは同じルートを7時間でここに到着。

もう一人の女性も同じルートを一人で辿って来たそうだ。

そんな中で我々4人とヒョウキン二人組みは少々肩身がせまいかなー。

9月27日

水平道:

朝、4時50分出発。 山登のあと水平部入り口へ約1時間。

更に1時間で折尾谷の大滝前で朝食を摂る。(写真)orio_taki

トンネルは中に入った途端に浮遊感が襲う。 幸いにも水量が少なく靴を履いたまま通過できた。

欅平まで続くこの水平道は電源開発とはいえ良くこんな場所に手作業で岩を穿き、くり貫き、作った物だなーと先人達に感謝(写真)suiheido

欅平には10時48分に到着。 トロッコ電車で宇奈月温泉へ。(写真)toroko_nezumi

真砂山荘の主人に教えてもらった銭湯に入り遅めの昼食。

宇奈月温泉の駅の道を挟んだビルの二階に見覚えのある顔が二つ。

例のヒョウキン二人組みが盛んに手を振ってくれた。

総括:

メンバーの趣向で行きが夜行北国のB寝台下段! 帰りはサンダーバード、そして行程は一日多いから、費用は多め。 だから少々デラックス。

しかし結果から見るとこのメンバーには丁度良く体力に少し余裕を持たせ事故も無くて完了出来たので、良かったのです。

私に取っては7年前に、おばちゃんが玄関の前で柱に寄りかかって私等を見ていた前を、挨拶もせずに阿曾原へ向かってしまい、その時から、泊まってみたかった仙人池ヒュッテに今回宿泊出来た事は最大の幸せでした。

ここは、他の山小屋とは全く違います。

但し、常連のお客さんが多い時は、おばちゃんと話す時間が取れるかな?

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剣縦走:パート3

9月25日、今日は遅立ちなのに朝食が5時の為、朝の時間がユックリ過ぎる。

ついに堪え切れず、9時出発の予定を繰り上げ霧雨の中を8時20分に出発。

私が知らなかったルート、黒四ダムへの分岐を見る。 写真の丸太橋を渡って右岸から約1時間の登りと約6時間の下りで黒四ダムに出ると言う。いつかこのルートを使って見たい。(写真)damuhe

二股では吊橋の新築工事中。

先ほど追い越された夫婦が地図を見ながら上流を見ている。

一服していると一人の登山者が“私が2-30年以前に来た時はあの近藤岩は合流地点(吊橋の先)に有ったのに今は下流に流されている。(へー、あの大岩が4-50メーターも動いた?)

ここからは仙人新道の、かなりの急登が続く。 そして霧雨が雨に変わって上半身を打つ。

雨に煙る中、小さな紅葉を見つけた。(写真)shou_kouyou

池の平への分岐を過ぎると新築の木道が整備されて仙人池ヒュッテへ誘う。

12時半にヒュッテの戸を空けて挨拶すると“おばちゃん”が出てきて

“ああ、あんたら、この雨の中を良く来た。 さー、お茶を飲んだらそのままヒノキ風呂に入れ” “あのー、先ずお金を” “かねー、そんなもんは後で良い。あんたらは男3人とお嬢一人か。 女は少し時間がかかるから男3人が先に入れ”

背中を押される様に風呂場に導かれ、結構大きめのヒノキ風呂に入る。 雨の中、多少冷やされた体がじんわりと暖めてくれ思わず笑顔になる。 “おばちゃん”のやさしさが心に染み込んで来たのだ。

薪ストーブを焚いてくれた乾燥室に濡れた衣類や靴を吊るし、一息入れて食堂で昼弁当を食べる。 山小屋にこんなに早く到着した事は未だかって無い。

3年程前にここに来た京都出身で写真の好きなマスターとも色々話す。 始めは彼が“おばちゃん”の息子さんだと思ったが、息子さんは称名滝の前でレストレン(或いは宿)をやっており今は“おばちゃん”の跡を継ぐべく、お孫さんが修行中との事。

客が増えて来た。 室堂から直接ここに着いた3-40台の健脚一人旅人。 飛び込みの女性二人で両方共眼鏡をかけたヒョウキンなペア。 二股であった近藤岩の男。 やはり二股で出合った夫婦は明日、小窓雪渓から三の窓に登り剣を登頂して剣山荘へ行くといっており我々より早く二股を出発したが、小屋へは大分遅れて到着。 理由を聞くと、雪渓の偵察に行ったのだが、出来立ての熊の糞に出会い、早々に引き上げてきたとの事。彼らはマスターに明日、三の窓方面へ行く人が居ないか聞いていた。

最後はトロリーバスで黒四から上がって来た千葉の人で何処かの雪渓登りをピストンでするので2泊すると言っていた。以上、私が話しをした今日の宿泊者。 あと2-3人居たか。 夕食後、夫婦と千葉の人が地図を見ながら話しており、結局千葉の人は夫婦と一緒に行く事になった。 いったいあの夫婦は何故ここに来たの? 始めから他人頼みで登ろうと思って来たのか?

夕食:

こんにゃく漬物、蕨の一種の塩漬け酢作り、冷奴、天麩羅盛り合わせ、シチューと机上には新湊のT商店のイカ黒作り(絶品)とQちゃん。 これに味噌汁とご飯(旨い)。

つい食べ過ぎて横になれない! 山小屋でこれだけ食べた経験は未だかって無い事。

食べすぎでは眠れないから食堂に居る。

ここは食事の前にマスターが9時まではここで団欒して結構ですと。

昨夜とは大違いである。

食堂の壁には“おばちゃん”の旦那さんが箱カメラで撮影に向けて対象物を見ている大きな写真が掲げられている。 その写真を尋ねると、旦那さんがクモマクカになった時や、どうやって病院へ入ったのかの説明をしてくれ、更に何もせず(出来ず)ただそのストーブの前に座っているだけで存在感が有ったと、それが心強かったと、懐かしそうにその場所を見つめていた。だから亡くなった時は本当に心細くなった。当然ですね。

ヒョウキン女性2人組は、本来、阿曾原温泉へ行く予定がココに泊まってしまった自分達のいい加減さを笑っていた。 明日はここから一気に欅平へ行く予定。

ところが、さっき一緒に外で満天の星を見、私達が明朝は池と裏剣が良く見えると思うしマスターから教えてもらった国土庁の観測機器が設置された山頂へ行き360度の展望を眺め、ユックリ出発して阿曾原で泊まると話すと、二人共考え込んだ。 そして、“それもいいかもね”等と言い出した。

こうして、9時頃にゆっくり寝床に入った。

この宿の運営は当然“おばちゃん”の心が全てに影響しており、他の山小屋のそれとはかけ離れている。 だから“おばちゃんファン”の固定客が多いと思う。

一方、通常の登山者は真砂山荘からここを飛ばして阿曾原温泉へ行く。

この小屋が将来も存続出来る事を心より願う。ガンバレ!(写真:皆さんにおばちゃんを見て欲しいので私の部分をカットしました)obachan

私も必ず又、ここに来たい。

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