June 2005
June 29, 2005
June 20, 2005
一心寺の事
一心寺
絶好の機会があって此の度、高口長老の案内で一心寺の内部を見る事ができた。
誰でも、この山門を始めて見た人は度肝を抜かれる。
それほどこの仁王は世間の常識を打ち破っている。
仁王自身が裸で部屋から開放されており、その下に来ると仁王が見る人におおい被さって迫る。 しかし手に武器を持たない。
門にレリーフされている天女の胸の豊穣さには艶がある。
このお寺には長老が作った数々のユニークな建造物や集めた美術品があるが、
私にはこの山門と仁王像に長老の思いが全て秘められ象徴されているように感じた。
本来上町台地は大阪を象徴する場所で、昔、この台地からは足元に迫る難波の海、その海の向こう、淡路の山波に沈む夕日の美しさは際立っており既に平安時代に藤原家隆という人が付近を“夕日ヶ丘”と名付けたと言われており、長老もその夕日を愛でるべくロビーの西に夕日を意識した窓を切ってあり、また広間には“日想観の絵図”を置いてある。
この後ろに夕日が射した時にこの絵図がどのように見えるか、見たい。
添付の写真は、「仁王像」「普段見られない角度からの仁王」「満開のジャカランダの花」「ロビー西窓」「日想観の絵図」「美仏」。
お寺も、新しい発想と経営感覚に優れた住職によってこのように変わる事が出来ると言う事を実証してみた高口長老に感謝一杯の一日でした。
一心寺の事: 発祥は文治元年(1185年)法然上人が訪れた事にあるとされている。
一心寺のお骨佛は宗派を超えて納骨できる。
大阪冬、夏の陣で茶臼山一帯は徳川が布陣しており家康はこの一心寺に本拠を置いた。
通りを隔てた北側に安井神社があり、そこには真田雪村終焉の碑がある。
幕末の鳥羽伏見の役で敗れた東軍(会津藩及び新撰組主体)は淀川の土手を敗走して大阪にたどりついた。 その「東軍戦死者の碑」がある。
一心寺のホームページ:http://www.isshinji.or.jp/
June 16, 2005
バイカモ
昔、コップの中に入れて楽しむ水中花がありました。
それを なをさん(http://nawonao.tea-nifty.com)が
振られても死ぬ訳じやあなし水中花 なを
という句を作られました。
去年の5月終り頃に兵庫県の日本海に面した浜坂の浜で
キャンプをしたおり尋ねた岸田川で水中花といわれている
バイカモ(梅花藻)を見る事が出来ました。
その時の写真です。
川幅ほぼ全面に渡って生えている藻から花柄を出し
蕾みをつけ開花すると水面にも顔を出す。
花の大きさは6-8mm。
先週見た人の話では今年は台風の影響で花が少なかった
ようですが、まだ見る事が出来たようです。
この花を現地で御覧になって、なをさんの句を!
子ツバメ
子ツバメ
私のブログ友、zuccaさん(http://zucca.way-nifty.com/ciao/ )
が5月8日の“アウトレットの燕”で燕の巣つくりを連続で紹介して
いましたが、6月3日の“無残ツバメの巣”で、巣が管理人によって
撤去された事の無念さを述べていました。
zuccaさんは元より連載を見ていた人達も、私も管理人サイドの
短絡的な処置に不満でした。
6月12日、私達が京阪電車樟葉駅から 八幡市
道すがら、ツバメの巣を見つけ写真を撮りました。
zuccaさんのツバメがここまで来る訳は無いのですが、ひょっとしたら
June 13, 2005
大阪から京都へ パート2
大阪から京都へ パート2
4月19日の“河川敷小火”は大阪から京都へ歩くパート1で、今回のパート2では枚方公園から京阪八幡駅まで約14.5kmを11人の参加者と歩いた。
梅雨入りした途端の中休みで好都合であった。
枚方宿の鍵屋で昔の船宿の雰囲気を感じ、河川敷に降りるとそこはビオトーフ的に作られた公園でヨシキリが仕切りとせわしなく鳴く。
牧野ゴルフ場と淀川の間は鳥獣保護区になっており鳥達もよく知っているのか多数の鳴き声がきこえる。 普段は山で聞く鶯の声を河川敷で聞くと奇妙な感覚に囚われる。
今回のポイントは 八幡市
樟葉から松花堂までの市街地歩きは本日一番退屈で疲れる区間で皆さん疲れてきたので市境の公園で一息入れる事になり湯を沸かしコーヒーで気分転換。
松花堂庭園は寛永年間(1624-1644)に活躍した文人僧、松花堂昭乗が使った茶室等の建造物、客殿、庭園を明治24年に現在地に移築して出来た庭園で、各種の竹や椿が集められており、入り口を入るとキッコウチクがあり金色のキンメイモウソウが導く。
この庭園にある竹については辛酉夜話さんのホームページ http://homepage2.nifty.com/H-Suga/take01.html で詳しく紹介されています。
またご存知松花堂弁当は昭乗から発想されている。
茶室の前の水琴窟は美しい水垂れの音を聞かせる。
内苑の建造物と庭園の樹木が爽やかさで樹間を吹き抜ける風で火照った体を癒してくれる。
岩清水八幡へは東高野街道を北へ、そして一気に山頂へのぼりエジソン記念碑を訪ね、石段を下り、駅前の朝日屋へ。
二週間前の下見に来たときに立ち寄ったここのオヤジさんが我々のためにオデンを焚いて向かえてくれ、待ちに待った生ビールで今日の歩きに乾杯!! そして土手焼、鰻巻き、また良く飲んで。 次の八幡から伏見稲荷までいったら電車で八幡に戻りココで飲もう、はてまた来年の正月もここに来よう等と。
参加者は全員が自然、風景、歴史、町並みを愛し安全で健康で最後の〆に御酒を楽しみ“所詮人間は生まれた時から風来坊、風の吹くまま旅しよう”と言うバガボンド達です。
とりあえず大阪から京都まで歩く内の今回がパート2で次回は八幡から伏見稲荷だが途中の中書島(三十石船の船着場や寺田屋、そして伏見銘酒)を通過できるかどうか。
鵜殿
小川先生(鵜殿ヨシ原研究所)の概略説明の後、雨が降りしきる中を淀川河川敷に降りて
実地講座が始まった。
鵜殿は紀貫之が土佐日記のなかに取り上げられている古い地名です。
吃驚したのは鵜殿の上流部で淀川の水を一秒間0.5トンポンプで汲み揚げ水路でアシ原に流してアシに水を供給している、つまりそうしないとアシが陸生植物に攻められて絶滅に向かう事を防いでいる。 こんな努力が成されているのである。
ヨシ原から対岸の樟葉方面を見ると、ヨシキリが鳴く。
“利根―えーえの”じゃなく“淀の、淀の河原でヨシキリのー”
通路に子スズメが雨に濡れて飛べない。
先生は手で包んで暖めてやり、元気を回復させ元の場所へもどす。
ヨシを水に近づける為に河川敷の掘り下げ試験が始まった。
上の黒い層がヨシの育成に必要な部分で約5-60cmの層になるのになんと1500年を要したとの事。吃驚ですね。
一見しただけでは到底解らない事を地道に観察し保護している人たちに感謝。
June 10, 2005
June 07, 2005
June 06, 2005
加太の磯
加太の磯 6月5日
みさき公園からコミュニティーバスに乗って住吉小島で降りると、そこは海。
大阪府の海岸最南端でここを過ぎると和歌山県。
天気は上々、そして涼しい風が吹き抜ける。 この風のお陰で随分助かった。
磯に降りると多くの人々が貝や海藻を採取している。
その中を我々一団12名が南に向かってすすむ。
アウトドアースポーツの中に“磯歩き”等と言うカテゴリーは無く、有っても磯釣りの人が釣り場に行く磯歩きや砂浜の磯歩き程度。 しかし世の中には歩ける磯を探し探検している人達が少数居るようで、その一人から昨年教わったのがこの加太である。
上って休暇村の展望台で気持ち良い景色を見ながら昼食を取る。
昼食後は自然散策路で崖上まで行き、急降下してミステリートンネルから磯に戻る。
このトンネルで写真を撮ると何か思わせ振りの物(?)が映る。
冗談で見て下さい。
そこから加太海水浴場まで約2時間の計4時間をずーっと海と海岸崖の間の岩磯をひたすら歩く。
昨年10月のこのルートを歩いた時は午後4時過ぎると満潮近くなり最後の海水浴場手前では波が引くタイミングに会わせて2-3歩歩いて次の足場に辿りついたが今回はほぼ同じ時間でも海面は大分後退しており全く困難はなかった。
この磯・岩場の特徴は陸地から海への切り立った崖に隆起した断層が見事にはっきりと見え、また場所によってはその断層が海水に洗い出されそれが立ち上がり崖の断層まで繫がっている場所がある。
航空写真等で見るとこの断層は淡路島南部から四国の讃岐山脈に一線で繫がっている。
今回は天気が良く波も穏やかで、しかも涼しい風が吹き続け体を適度に冷やしてくれたから大助かりであった。
ビル5階の風呂、露天風呂は景色も吹き抜ける風も気持ちよく一日の疲れを癒してくれた。
またここから見る夕日に輝く加太瀬戸の景色も好きなのです。
June 03, 2005
自然とは
この土曜日、服部緑地公園で菅井先生による実習講座が行われた。
駅前の集合場所から公園入り口まで普通に歩けば5-6分の所を1時間懸けて、植物や動物の痕跡からその前の情況を考える手法や何故その植物がその場所に生きているのか、その植物の性質等などユニークな説明には感心するばかり。
周りをフワフワと浮遊している植物の胞子だと思っていたのが虫だったとは!
(写真はボケていますが虫の長さは約3-5mm)
大きな毛虫を見つけると指に乗せる!
昔、毛虫の模様からヒントを得て着物の柄にしたと言う。
毛虫の足には吸盤があり毛は生えていないので刺されない。
でも、私が先生のように毛虫を指に乗せる事が出来るようになるだろうか?


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