荒海や
最近朝日新聞でシーボルトとタキの話が載っていた。 その中で“シーボルトが日本から持ち帰った13種15本”と書いてあったが私が現地で貰った説明には、この公園の木は始め日本からパリに送られその後、日本産と確認出来た木のみをここに移植された、と説明されている。 6年前の忘れ書き。
「オランダの町を歩いていて、三階建ての家の壁上下一面に毛筆様の大きな字で、
荒海や 佐渡によこたふ天の川
と書いてあるのを見た時はほんとに吃驚し、そして感激した。
パリへ行く前の土曜日(1999年5月29日)はドイツのオスナブルッケから電車で三回乗り換えてオランダのライデンに約三時間で到着した。 何十回かオランダに来ているが始めての町である。
日曜日、ホテルで貰った市内地図を頼りに歩く。 先ずはライデン大学の植物園を目指して運河沿いを歩く。 漸くその場所近くに来た所で前述の“荒海や”が目に飛び込んで来た。 写真を撮り暫く佇む。
何故、誰がここに書いたのであろう。 結局は解らなかった。
そして植物園の入り口が見つかり、三百五十円程の入場券と二百円程の日本語の簡単な案内(たった一枚の紙)を支払って中に入る。
こじんまりとした公園にシーボルトが日本から持ち帰り当初パリに植えそれをここに移植した由緒がハッキリしている15本の木が植えられている。 栃の木、ほうば、杉、藤、楓、等、大きく育っているのを見ると矢張り感激に咽ぶ、なにか祖先に会ったような。
それにしても既に百五十年も前に植えた木々を二つの大戦を超えて確り手入れをしてこのように保護しているのを見ると、今まで接してきたビジネス一辺倒のオランダ人に対する私の認識が大きく違ってきた事をこの公園で感じた。
そして、公園の一角を土壁で仕切ったシーボルト記念公園がある。
この公園は枯れ山水を模した日本庭園で、その中に“シーボルト”の青銅が立っている。
この公園は在オランダの日本企業等の寄付で作られそれを示した銅板が貼ってある。
シーボルトはドイツ人だがオランダ政府の一員として長崎の出島に帯在し江戸への途上に見分した文物や植物を採取してヨーロッパに紹介したが、伊能の地図を入手した為に幕府より強制送還された。
日本を世界に紹介した偉大なシーボルトはドイツ人にもあまり知られず、又オランダ人にもあまり受け入れられて居らず、最近になって漸くその業績が見直されて来たとの事。
日本と日本人を愛したシーボルトを、私たちはもっと知るべきだと思う。
ライデンは小さな町ながらオランダ的な特長― 運河やそれを取り巻く古い家並み、土曜の
マーケット等があり良い町です。」
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Comments
神戸女学院植物園のCDを拝見。back musicの効果も抜群。いよいよプロの世界ですね。次作を期待しております。
Posted by: 自然星ー1 | May 30, 2005 10:01 AM
自然星さん
自然星さんも作って見て下さい。
ソフトは無料でDLした物です。
是非トライを。
Posted by: shima | June 03, 2005 05:49 PM