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April 26, 2005

窓の灯や

madonohiya_640 前回(4月17日)の歩きで、見落とした場所があり再度ほぼ同じルートを23日に歩いた。

佐太天満宮の蕪村の歌碑「窓の灯や 佐太はまだ寝ぬ 時雨かな」に就いて少し疑問が浮かんで来た。 私は素直に“時雨が降る中、ああ、佐太もまだ窓に灯が見える。 (下流の毛馬村もまだ灯が点いているだろうか)”と解釈していた。

しかし、ルートの終点、枚方宿の博物館「鍵屋」で非常に親切な観光協会の方と話したおり、その人は、

     もともと現在の佐太は佐太と言う地名では無かった。

     菅原道真は、自分の領土でもある現佐太で自分の処遇に対する“沙汰”を待って

    居たので後にこの地名を佐太とした。

     あの句は菅原道真の娘に懸けて唄ってる。 娘が道真に会いに佐太へ来たが

    合えなかったので、その思いを蕪村がこの句に読み込んだ。

それを聞いて、なんと深い句なのだなーと思った。

しかし、句碑の横にあった石碑(無意識に写真を撮っていた)にこんな事が書かれていた。

「蕪村が丹後から故郷毛馬村に帰る途中、時雨降る淀川の夜舟から見た佐太村の情景――」

枚方の叔父さんには悪いが、この方が蕪村が感じ取った情景を絵画的に唄い、私でもその景色が目に浮ぶ程、自然であると思った。

あれー、今度は石碑の説明に疑問が浮かぶ。 蕪村は毛馬村には帰らなかったはずなのに。

私は俳句も殆ど知らない、蕪村も何と無く好きなのに殆ど知らない、人間です。 御免!

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Comments

佐太村の情景を詠んだ蕪村さんの句について
おもしろいお話をありがとう。私も淀川をのぼる
夜船の上で、時雨に煙るような灯りを眺めて
の発句のような気がします。
「菅原伝授手習鑑」にも佐太村が出てきます
文楽や歌舞伎では有名な場面です。蕪村さん
の時代のもっと昔から天神様ゆかりの村だったことを知って、とてもためになりました。

Posted by: nekozizou | April 27, 2005 02:47 PM

早速コメント有難う御座いました。
私も俳句は殆ど解りませんが時々気になる句に出会います。
実際に句碑を見て河原に降りると
そこからは土手に阻まれ佐太天満宮は見えません。
しかし何と無く土手を透かして光景が浮んできます。

Posted by: shima41 | April 28, 2005 12:01 AM

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