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March 22, 2005

璽霊山

nogi_poem_640
「二霊三嶮豈難
擧男子功名期
          克艱」
虜兵三千
          據比嶮固塁浚
          濠勢堅頑将軍
          視三解既決此
          敵不攮不生還
          三敗三勝色目
          若累屍築壁壁
          為殷四敗四勝
          倍胆気親冝飛
          弾九日間五敗
          六勝慮兵走聞
          壌天子師茲班
          君不見「鐵血覆
          山山形改萬人
          斉仰璽霊山」

こんな屏風が田舎の家に有った。その写真です。(下線の字は当て字)
ほのぼのさんのブログページ「大凡人」 に
3月10日の旧陸軍記念日を思い出すべく奉天会議の写真が出ていました。
それでほのぼのさんに、私の祖父が203高地の戦いに参加したのち、
この屏風に記された詩を中国人に書かせ帰国した事を書きました。
漸く探した写真をスキャナーで読み込んだのが添付写真です。
それで少し調べた所、下記の疑問が出て来ました。
  1.ネットで紹介されているこの詩は殆ど4行(「」内
    の斜文字部)で“中抜”である事。
  2.紹介されている4行の“中抜”の詩は乃木さんが
    明治41年(1908年)初夏に旅順戦跡を
    訪ねた折。と書いてある。
  3.屏風には“光緒三十三年”つまり1907年と書い
    てある。
  4.屏風の詩の最初は“二霊三”とあり最後に“璽霊
    山”となる。
  5.間散居士とは誰だろう?
  6.祖父は戦が終わって中国人に書かせたといって
    いたが(1907年)、乃木さんが作ったのは
    1908年。
  7.桂月とは8月あるいは8月の季語との事。 ひょっ
    としたら書いたのは日本人?
祖父が嘘を言ってたとは思われないが、約100年前の事で調べようも無い。
漢詩など殆ど解らぬ私ですが、中抜きの部分には203高地の戦がいかに過酷であったかが感じ取れますね。 だからこの詩は全部を読んでこそ実感が出てくると思う。
そして
  第8の疑問は
  何故中抜き部分が紹介されていないのか?

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