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March 16, 2005

ボイヤマンは千の風 パート2

_480ボイヤマン氏の奥さんからの返書の表紙にこんな詩が書いて有りました。
Blooming like a tree and not asking why?
Travelling like the wind and not asking where to?
Failling like a leaf and not asking when?
私流に和訳すると:
木のように花が咲くが何故かと聞かない?
風のように旅するが何処へと聞かない?
木の葉のように落ちるが何時と聞かない?
これも誰の詩か判りませんが気になる詩ですね。
同封で送られて来た晩年のボイヤマンの写真を添付します。
残念ながら私が接していた頃の精悍さは見えませんが良い写真です。

もう一つ千の風:
私の個人的及び仕事上でのドイツの友人ダリオ(35歳)が昨年初夏に従兄弟を車の事故で亡くした。
彼の父親が引退して次代の会社運営を任される行程途中の事で彼はその従兄弟を技術のトップに
据える考えで居たので、その落胆は非常に大きかった。
彼の心情は十分判っているので私には慰めの言葉を思い付かなかった。
そして送ったのが英文の”A Thousand winds"と3月5日付けの記事に添付した”星空”のイラスト(私がペイントで書いた物です)。 勿論彼は既に此の詩を知っている物として。
所が彼はA Thousand Windsは初めての詩であり、非常に感銘し叔父にもこの詩を知らせたと返事がありました。
あまり関係は無いのですがボイヤマン氏の家はデュッセルドルフでそこから約130km北東のオスナブルッケにダリオは住んでいます。

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Comments

パート2。ボイヤマンさんは私の頭に描いていたイメージに近い晩年像でした。「千の風」にぴったりの
面影で、これを贈られた奥様も氏の生涯にふさわしい
美しい心の方ですね! 
 民族も国も超越した愛があり、友情があることを
しみじみと感じることができます。

Posted by: nekozizou | March 20, 2005 04:33 PM

昨日は拙い私の部屋へお越しいただき
ありがとうございます。

早速『ボイヤマンは千の風』&『パート2』を
読ませていただきました。
朝日の「天声人語」で知って、その後も
見かけていた美しい詩!

子供の頃、人は亡くなるとお星様になるって、
教えられたりしていましたが、本当は
『風』になるのかもしれませんね。
そして私達を見守ってくれている…

なのに、哀しみって時間と共に薄らいで、
普段は忘れてしまっている。
そうじゃないと今を生きる事が出来ないから。
(冷たいんでしょうか)

一生懸命生きていれば『風』も解ってくれる…
そう思いたいのです。

美しい詩を思い出させて頂きまして
ありがとうございました。

Posted by: なを | May 08, 2005 09:48 AM

差し出がましい事を言ったのかもしれませんが、コメント有難う御座いました。
あの英文の詩は英文のまま理解したほうが良いと思いますが私の解釈は男のゴツゴツした直裁的な訳です。
新居満さんの詩は流石に作家詩人と思います。

Posted by: shima41 | May 08, 2005 06:05 PM

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