あれは2000年の5月、突然ボイヤマン氏の死去を知らされた。
すでに四十年程昔であったが、彼は私がスイスの商社に入社した時の部長であった。 顔は薄黒く頬に刀傷、目は窪んで鋭く、話声は低くボソボソ声。 いってみれば“ヤクザ”的な風采を持っていた。 彼がドイツ人の ヴォルフガング ボイヤマン。
彼の話し方は形容詞等、飾り文句が無しで的確な表現をし、人種偏見は持たない。 だから何時の間にか彼の魅力に取り付かれ彼の仕事の指示には何の抵抗も無く受け入れた。 彼の下で初めての外国人と仕事が出来た事は私にとって最大の僥倖であった。
その彼が死んだ。
彼の奥さんから来た死去の案内にそれが載っていたので早速下記のように翻訳した。
俺の墓の前で涙を流すな
俺はそこに居ない。
俺は眠っていない。
俺は吹き荒ぶ千の風
俺は雪の中で輝くダイヤモンド
俺は実った穀物を照らす日光
俺は優しい秋雨
お前が朝の静寂から目覚める時、
俺は静かに円飛翔して舞い上がる
俺は夜空に輝く優しい星
俺の墓の前に立って泣くな
俺はそこに居ない。
俺は死んでいない。
何回、何回も読み直した。
そして私は理解出来た。彼は死んでいない、私の心の中に生きている事を確信した。
この詩を読んで彼の強烈な魂が私の中に受け継がれ存在し続けており、更に生き続けていく事を確認出来た。
早速、かれの奥さんにお悔やみの手紙を出し、あの詩を読んで確かに彼は死んでいない、私の心の中に生き続けている旨を伝えた。
彼が大阪に居たのは3年程で次は台湾で事務所を開き、それが軌道に乗るとインドネシアに事務所を開いた。
仕事に関しては厳しく突撃型であったが彼の魅力は人種を超えており、奥さんからの返事の中に私と同様に思っている人たちが愕くほど大勢いて彼等にとって、ボイヤマンがどれだけ特別な存在であったか、そして彼らの中に生き続けているのを知って幸せであると、書かれていた。
昨夜というか今日の早朝(平成16年6月22日)3時半頃か、トイレに起きて床に戻ったが眠れずにラジオのスイッチを入れNHKの深夜便を聞くと、作家の新井満さんへのインタビューをしており、そこで彼が“千の風”の説明をしていた。
聞いている内に、心が騒ぎ始めたのでメモと鉛筆を手にして聞いていると、案の定、
アナウンサーが“では新井さん、その詩を朗読して下さい”と。
“千の風となって”
私のお墓の前で泣かないで
そこに私は眠って居ない
千の風になって、 千の風になって
あの大きな空を吹き抜けています
秋には光になって畑に降り注ぎ
冬はダイヤモンドのように、きらめき降る
朝は鳥になって
夜は星になって
あなたを見まもる
私の墓の前で泣かないで
そこに私は居ません
死んでなんかいません
(聞き取りメモなので正確ではありません)
この詩は読み人知らずで、だが100年程前から世界に漂っているようです。
アイルランド共和軍のテロで亡くなった24歳の若者が“私が死んだらこの封筒を開けて下さい”と両親に渡しした中にこの詩が書いてあったという。
映画監督のハワード・ホークスの葬式ではジョン・ウエインがこの詩を朗読し、マリリン・モンローの25回忌でも朗読され、2001年、9月11日の同時多発テロで犠牲になった父親をしのんで11歳の少女がこの詩を朗読した。(天声人語でも紹介済)
新井さんも、番組の中で言っていましたが、確かにこの詩の内容は、キリストやイスラムのような一神教徒の発想からは出て来ない。
寧ろ日本人のような多神教からの発想に近く、しかし英語だからシャーマン(アミニズム)的なアメリカンインデアン辺りに出所があるのかも知れません。
それでも宗教を超えて世界で朗読され続けているこの詩の経歴を偶然にも今知る事が出来て幸運であった。
でも私に取ってこの詩は前ページの自分で翻訳した方が、ボイヤマンが私に語りかけている臨場感があり好きなのです。
作詞、作曲家でもある新井さんはこの詩に唄を付けCDを出しているようです。
注1:この詩に関しては新居満さんのホームページを御覧下さい。 他のページも参考にしました。
注2:この文書は平成16年6月22日に作成した物です。
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