« February 2005 | Main | April 2005 »

March 2005

March 31, 2005

乳頭山

43名が無事に戻って良かったな。
新聞記事を見てしか事故の様子がわかりませんが:
* 先ず皆さんを纏めて一箇所に固める。
* 動かない
* 歌等で励ましあう
* 加藤さんが一人で下山の勇気
等が無事の理由と思われます。
矢張りリーダーの指導力があったのだと思います。
中高年の活動力と元気さの証明です。
今後、この事故の調査が始まるでしょう。
私は、通常の山行きでも43人はいかにも大勢過ぎる、
ましてや雪山では、多すぎると思います。
これから何故事故が起こったのかの正しい分析がある事を願います。
願わくは、この事故の為に中高年の活動に消極的にならず、むしろ
事故に対し冷静な判断で一人の落伍者もなかった事の方を積極評価すべきです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 23, 2005

カウンターの不思議

どの位このページが見られているか知りたくて試行錯誤の末、昨日漸くカウンターを設置した。
今日見るとすでにカウンターの数字は50を越している。  なぜだろう?

今日、璽霊山の記事の一部を変更して斜めにした。
この記事だけで無くページ全体の記事が全て斜めになってしまった。
なぜだろう?

所詮、不慣れでスタートしたので解らぬ事ばかり。
どなたかアドバイス戴ければ有り難い。

| | Comments (5) | TrackBack (0)

March 22, 2005

璽霊山

nogi_poem_640
「二霊三嶮豈難
擧男子功名期
          克艱」
虜兵三千
          據比嶮固塁浚
          濠勢堅頑将軍
          視三解既決此
          敵不攮不生還
          三敗三勝色目
          若累屍築壁壁
          為殷四敗四勝
          倍胆気親冝飛
          弾九日間五敗
          六勝慮兵走聞
          壌天子師茲班
          君不見「鐵血覆
          山山形改萬人
          斉仰璽霊山」

こんな屏風が田舎の家に有った。その写真です。(下線の字は当て字)
ほのぼのさんのブログページ「大凡人」 に
3月10日の旧陸軍記念日を思い出すべく奉天会議の写真が出ていました。
それでほのぼのさんに、私の祖父が203高地の戦いに参加したのち、
この屏風に記された詩を中国人に書かせ帰国した事を書きました。
漸く探した写真をスキャナーで読み込んだのが添付写真です。
それで少し調べた所、下記の疑問が出て来ました。
  1.ネットで紹介されているこの詩は殆ど4行(「」内
    の斜文字部)で“中抜”である事。
  2.紹介されている4行の“中抜”の詩は乃木さんが
    明治41年(1908年)初夏に旅順戦跡を
    訪ねた折。と書いてある。
  3.屏風には“光緒三十三年”つまり1907年と書い
    てある。
  4.屏風の詩の最初は“二霊三”とあり最後に“璽霊
    山”となる。
  5.間散居士とは誰だろう?
  6.祖父は戦が終わって中国人に書かせたといって
    いたが(1907年)、乃木さんが作ったのは
    1908年。
  7.桂月とは8月あるいは8月の季語との事。 ひょっ
    としたら書いたのは日本人?
祖父が嘘を言ってたとは思われないが、約100年前の事で調べようも無い。
漢詩など殆ど解らぬ私ですが、中抜きの部分には203高地の戦がいかに過酷であったかが感じ取れますね。 だからこの詩は全部を読んでこそ実感が出てくると思う。
そして
  第8の疑問は
  何故中抜き部分が紹介されていないのか?

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 19, 2005

新玉川温泉、乳頭温泉、酸ヶ湯へ

bokashi 新玉川温泉、乳頭温泉、酸ヶ湯の旅
大阪から2泊3日で“みちのく最強の三秘湯”へ行って来ました。
3月12日は仙台到着後にバスで中尊寺に途中下車。
盛岡ICで46号線に入り奥羽山脈に入る辺りから降雪が多くなり両側に雪の回廊を高くしてゆく中、漸く田沢高原ホテルに到着。 このホテルの風呂は乳頭温泉と同じ湯源といわれている。 小さいけれど露天風呂に入ると雪が舞いおりる。
13日は朝風呂の後、同じバスで愈々第一目的の新玉川温泉に向かう。 昨日からの雪で所々雪回廊は高くなり到着する事が出来るのかと心配。
この道は宝仙湖の所で冬季全面通行止めとなる。 8:55分の路線バスが入る時のみゲートが上がるから自家用車はここで路線バスに乗り換えざるを得ない。 我々のバスは路線バスの直後に繫がって進行しやがて新玉川温泉に到着。 一軒だけで、(奥に玉川温泉がある)帰りは路線バスが確か12:30に出るからそれに合わせてスケジュールは決まる
shintama_rotenn_640
この温泉には大量のラジウムが含まれ塩酸(塩酸!)を主成分とした強酸性の泉質と書いてある。 源湯100%の湯に入ると全身に染み込み小さな傷には痛みが走る。 飲泉には50%の希釈された物が出てき、それをコップに汲んで更に水で5-8倍に薄めて飲むとスッパイ。 酢を飲んでいるようだ。 
露天風呂は雪に備えてガラスで囲ってある。  その横には温熱浴用のプラスチックシートで出来た箱様があり、それを被って寝ると床から熱が伝わってくる。 再度湯に入り、多分1時間半位して上がり昼食を摂るが当然乍、体がだるい。 流石に風呂好きの私でもこの強烈な風呂には少し入り過ぎたのかな。
帰り際に貰った湯治のしおりを読むと“泉質が強酸性のため、浴槽内で肌をこすると、皮膚がただれて入浴が苦痛になることがあります”と書いてある。
又、飲む場合は“約10-15倍に薄めてゆっくりと一口ずつ15-20分かけて飲む。(強酸性のため歯に影響しますのでストローで飲むか、飲用後は口をうがいしてください”と書いてある。 あーあー、入る前に読むべきである。
それにしても良くこんな降雪の中、この湯に来る事が出来た幸運に感謝。 旅行会社にも感謝。 
次は、再び田沢湖に向かいその奥にある乳頭温泉へ向かう。
雪は益々積雪をあげ回廊を高くする。 ガイドさんはこの雪で雪の回廊が築かれているので、歩くのは危険だから充分注意するようにと言われ、バスは乳頭温泉の中の大釜温泉に到着。ここは旧小学校の校舎を利用して出来ている。
kani_rotenn_he_640
kani_roten_640

私は先ず、雪の中を歩いて蟹場温泉へ向かう。 約10分程であるが確かに車が来ると怖い。 入浴料500円を支払い歩道に積もった狭い雪回廊をすこし下ると露天風呂がある。
脱衣場は男女別だがあとは混浴。 風呂は地面から下に浴槽があり全くの外湯であるから首だけ上が雪の中。 周りは雪だらけ。 しかし宿からここに来る道とこの雪に囲まれた風呂の光景は何物にも変えられない。  この湯質はあまり良く判らないが比較的透明性が高い。 蟹場の内湯は乳白色をしているが。
湯を上がると、再び大釜に帰り、そこの風呂に入る。 ここの湯は乳白色をしている。
資料ではここは乳頭山(1473m)、駒ケ岳(1637m)への登山口のようですから研究して何時かは乳頭山に登りここに下ってユックリ温泉につかりたい。
帰りは再び田沢湖から東に抜けて東北自動車道で湯瀬温泉に行き湯瀬ホテルに到着。
通常夕食前には風呂に入るのであるが流石に入る気がしなく、そのままの夕食である。
しかし矢張り気になり、地下の浴場へ行くと、そこには非常に大きな風呂があった。
しかも誰も居ない? いや一人いたがその人は一人で怖くなったと出ていった。
小さな露天風呂に入って、一体今日は何回風呂に入ったのかと思わず自分ながらよくやるなーと感心した。
14日は、同じバスで十和田湖を見てから奥入瀬渓流を下って八甲田山の中腹を場所に依っては5-6メーターの高さの雪回廊の中を縫って一軒宿酸ヶ湯(スカユと読むそうです)へ。
sukayu_mae_640

ここは300年程前に開かれた温泉宿で泉質は酸性硫黄泉で飲むと矢張りかなりスッパイ。
総ヒバ千人風呂へ入る脱衣所は男女別であるが中は混浴。 でも寒いせいか湯気が多量にあり向こうは朧の彼方。
ここには洗い場が無いから手拭いで拭いただけなので湯の成分がそのまま体に付着し、ツルツルしたその感触は翌日家で風呂に入るまで続いた。
ここでも一番長湯をしたのでバスの中では少々バテ気味となった。
酸ヶ湯に就いてはカテゴリー”温泉”で見つかった”Chega de Saudade"さんのページに詳しく乗っています。
また、"Chega de Saudade"さんのホームページには温泉情報が沢山あります。

酸ヶ湯温泉(すかゆおんせん)@青森市ついに、ついに念願の酸ヶ湯に入ってきました。

青森空港への途中であまり期待していなかった“ねぶたの里”に寄り感激して帰りました。

2泊3日で最強の3大秘湯訪問はこのように終りました。
途中“俺はなんでこんな風呂の入り方をしているのかな”と疑問を持ったが、終わって見ればこの雪の中であれだけの温泉に入る事が出来た事は非常に幸運でした。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

March 16, 2005

ボイヤマンは千の風 パート2

_480ボイヤマン氏の奥さんからの返書の表紙にこんな詩が書いて有りました。
Blooming like a tree and not asking why?
Travelling like the wind and not asking where to?
Failling like a leaf and not asking when?
私流に和訳すると:
木のように花が咲くが何故かと聞かない?
風のように旅するが何処へと聞かない?
木の葉のように落ちるが何時と聞かない?
これも誰の詩か判りませんが気になる詩ですね。
同封で送られて来た晩年のボイヤマンの写真を添付します。
残念ながら私が接していた頃の精悍さは見えませんが良い写真です。

もう一つ千の風:
私の個人的及び仕事上でのドイツの友人ダリオ(35歳)が昨年初夏に従兄弟を車の事故で亡くした。
彼の父親が引退して次代の会社運営を任される行程途中の事で彼はその従兄弟を技術のトップに
据える考えで居たので、その落胆は非常に大きかった。
彼の心情は十分判っているので私には慰めの言葉を思い付かなかった。
そして送ったのが英文の”A Thousand winds"と3月5日付けの記事に添付した”星空”のイラスト(私がペイントで書いた物です)。 勿論彼は既に此の詩を知っている物として。
所が彼はA Thousand Windsは初めての詩であり、非常に感銘し叔父にもこの詩を知らせたと返事がありました。
あまり関係は無いのですがボイヤマン氏の家はデュッセルドルフでそこから約130km北東のオスナブルッケにダリオは住んでいます。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

March 10, 2005

ボイヤマンは”千の風”

hoshizoraあれは2000年の5月、突然ボイヤマン氏の死去を知らされた。
すでに四十年程昔であったが、彼は私がスイスの商社に入社した時の部長であった。  顔は薄黒く頬に刀傷、目は窪んで鋭く、話声は低くボソボソ声。  いってみれば“ヤクザ”的な風采を持っていた。    彼がドイツ人の ヴォルフガング ボイヤマン。
彼の話し方は形容詞等、飾り文句が無しで的確な表現をし、人種偏見は持たない。 だから何時の間にか彼の魅力に取り付かれ彼の仕事の指示には何の抵抗も無く受け入れた。 彼の下で初めての外国人と仕事が出来た事は私にとって最大の僥倖であった。      
その彼が死んだ。
彼の奥さんから来た死去の案内にそれが載っていたので早速下記のように翻訳した。

       俺の墓の前で涙を流すな
       俺はそこに居ない。 
       俺は眠っていない。
       俺は吹き荒ぶ千の風
       俺は雪の中で輝くダイヤモンド
       俺は実った穀物を照らす日光
       俺は優しい秋雨
       お前が朝の静寂から目覚める時、
       俺は静かに円飛翔して舞い上がる
       俺は夜空に輝く優しい星
       俺の墓の前に立って泣くな
       俺はそこに居ない。 
       俺は死んでいない。
何回、何回も読み直した。
そして私は理解出来た。彼は死んでいない、私の心の中に生きている事を確信した。
この詩を読んで彼の強烈な魂が私の中に受け継がれ存在し続けており、更に生き続けていく事を確認出来た。

早速、かれの奥さんにお悔やみの手紙を出し、あの詩を読んで確かに彼は死んでいない、私の心の中に生き続けている旨を伝えた。
彼が大阪に居たのは3年程で次は台湾で事務所を開き、それが軌道に乗るとインドネシアに事務所を開いた。
仕事に関しては厳しく突撃型であったが彼の魅力は人種を超えており、奥さんからの返事の中に私と同様に思っている人たちが愕くほど大勢いて彼等にとって、ボイヤマンがどれだけ特別な存在であったか、そして彼らの中に生き続けているのを知って幸せであると、書かれていた。

昨夜というか今日の早朝(平成16年6月22日)3時半頃か、トイレに起きて床に戻ったが眠れずにラジオのスイッチを入れNHKの深夜便を聞くと、作家の新井満さんへのインタビューをしており、そこで彼が“千の風”の説明をしていた。
聞いている内に、心が騒ぎ始めたのでメモと鉛筆を手にして聞いていると、案の定、
アナウンサーが“では新井さん、その詩を朗読して下さい”と。

“千の風となって”

私のお墓の前で泣かないで
そこに私は眠って居ない
千の風になって、 千の風になって
あの大きな空を吹き抜けています
秋には光になって畑に降り注ぎ
冬はダイヤモンドのように、きらめき降る
朝は鳥になって
夜は星になって
あなたを見まもる
私の墓の前で泣かないで
そこに私は居ません
死んでなんかいません  
(聞き取りメモなので正確ではありません)

この詩は読み人知らずで、だが100年程前から世界に漂っているようです。
アイルランド共和軍のテロで亡くなった24歳の若者が“私が死んだらこの封筒を開けて下さい”と両親に渡しした中にこの詩が書いてあったという。
映画監督のハワード・ホークスの葬式ではジョン・ウエインがこの詩を朗読し、マリリン・モンローの25回忌でも朗読され、2001年、9月11日の同時多発テロで犠牲になった父親をしのんで11歳の少女がこの詩を朗読した。(天声人語でも紹介済)
新井さんも、番組の中で言っていましたが、確かにこの詩の内容は、キリストやイスラムのような一神教徒の発想からは出て来ない。
寧ろ日本人のような多神教からの発想に近く、しかし英語だからシャーマン(アミニズム)的なアメリカンインデアン辺りに出所があるのかも知れません。
それでも宗教を超えて世界で朗読され続けているこの詩の経歴を偶然にも今知る事が出来て幸運であった。  
でも私に取ってこの詩は前ページの自分で翻訳した方が、ボイヤマンが私に語りかけている臨場感があり好きなのです。
作詞、作曲家でもある新井さんはこの詩に唄を付けCDを出しているようです。
注1:この詩に関しては新居満さんのホームページを御覧下さい。 他のページも参考にしました。
注2:この文書は平成16年6月22日に作成した物です。
  

| | Comments (5) | TrackBack (0)

March 08, 2005

高速ウォーク

kousoku昨日、”歩きの会”の行事に参加させてもらった。  距離17kmで健脚コース。
私の経験ベースは登山だが、この”歩きの会”のスピードには、只々関心するばかりであった。
最初の山のぼり部でのスピードに吃驚して、これでは後半の歩き部ではバテてしまう筈だと思った。
ところが、後半の平地になるとそのスピードは増速して時速5.5から6km位との事。
私が所属していた山岳会でのスピードとは全く違う。 だから少し油断すると直ぐに離れる。
後ろから約60人の歩きを見るとそれは今まで目にしたスピード感とは大きく異なり、帽子の流れが速い、速い。
しかも、参加者は高齢者が多く、中には80歳に近い人も居たようでしたが皆さん何も無いように付いて行く。
このスピードで歩くには、いかにザックの重量を軽くし、足で地面を強く蹴り、蹴り終わった足を高速で前に振り出さないとこれだけのスピード走行は得られないようです。
今まで山で鍛えた私は体には多少の自信を持っているが、”井の中の蛙”で他の環境で味わう新鮮な驚きに、自分もこの歩行方法を鍛えようと思う。
只、このスピードでは回りの景色を堪能出来る余裕は無い。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 04, 2005

ちょっと遅めの観梅

shiro_bairinちょっと遅めの観梅に大阪城へいきました。
所がまだまだ満開の梅を堪能しました。
3月1日でした。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« February 2005 | Main | April 2005 »