
古道歩きの途中で旧陸軍墓地に立ち寄った。
過去3回の歩きでもこの墓地を見た。
最初、三光神社の真田の抜け穴を見、三光神社裏の少公園で休憩して、そこから上に行くといきなり墓地でその雰囲気にビックリし、それ以来私が案内する歩きでは必ずここに来た。
今回は、墓地中ほどで若い女性が声をかけて来て、「納骨堂を見ますか?」
「へー、見られるのですか?」 見られると聞いて中に入ると年配の女性がおり 「中の納骨を見ますか?」と聞かれたのでハイと。
中には電燈が無いようで懐中電灯で照らしてくれたその先には小さな段に小さな骨壺(約10x15cm位)や位牌がぎっしりと置かれていた。
彼女たちや若い学生さん達は骨壺の包装に書かれている名前や所属、日時などを記録しているようです。
丁度この墓地を良く知っている中下さんが来たから詳しく聞いて下さいと紹介された中下さんは83歳の御高齢にも係らず非常にハッキリとした口調で、私たちのここで滞在できる時間を聞いたので約1時間と答えると、「では、それに合わせて案内します。最初はこの墓地に出来た最初の墓標を見せます。」
下田織之助と言う人の墓石で昔の墓石には記録が掘られており中下さんは非常な興味を持って山口県の周防大島を訪れたて彼が神社の神主である事が解った。
のちに彼の曾孫が作詞家の星野哲郎であったそうで、星野から中下さんに2回電話があり、必ず墓石を見に行くからと案内を頼まれたそうですが、二回目の電話から二か月後に星野さんは亡くなってしまったそうです。
通常戦地で戦死した人たちは皆、靖国神社にゆくが、ここの墓地に葬られているのは戦死ではなく病死、事故死等直接の戦死以外での死者だそうです。 それが西南戦争から日清、日露戦争の半ばまでをカバーしています。
ビックリした事は、病死者、縊死者、等等を陸軍がちゃんと葬っている事です。
かってこのような陸軍墓地が全国に80カ所あったが今は種々の事情で縮小され完全な形で残っているのは、この真田山だけです。
中下さんはこの墓地の墓石は殆ど覚えているのだそうです。
当然ながら墓石にはそれぞれストーリーが有り、皆さんにそれを知って欲しいと言われています。
中下さんからは沢山の墓石に纏わりお話を聞きました。
墓石の品質が悪く表面がはがれて刻み込んだ文字が読めなくなります。
私たちが中下さんに案内されている時も2人の学生が墓石の記録を書き写していました。
今、NPO法人 「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」が沢山の人に知ってもらい、さらに保存活動を強化する活動をしています。
詳しくは下記ホームページをご覧ください。
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bacas400/sanaboti/
戦争の事、近代史の事、少しでも興味のある人は、是非ともこの墓地をご覧ください。
墓石に“縊死”などと書かれた記録がはげ落ちないうちに!
この「保存を考える会」では第四日曜日の午後1時半から1時間半、定期的に現地案内会を開催して居ます。 11月は中下さんが担当です。
最近、中下さん自身は「軍夫の墓」に興味を持って取り組んでいるので、特に
「大阪の軍夫」の資料を持っている方が居れば連絡を取りたいと言っていますので上記「保存を考える会」にご連絡下さい。
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